サボる私、サボらない菌
朝、けだるかった。どんよりした梅雨入り前の空、湿気をはらんだ空気、無風。
今日はゴミの日だ。なんとかいつも通り起きて一通りの家事をこなし、ゴミをまとめたところでなんだか力尽き、台所の隅の壁にもたれてそう欲しくもないお茶を飲みながら、ぼんやり室内を眺めていた。ゴミ収集までにはまだ時間がある。
このまま、寝てしまおうか
そう思った。もうだるい。なんかだるい。しかしこのまま寝てしまったらゴミが出せない。この時期の生ごみ、次回まで持ち越したりしたら、なかなか大変なことになるのは必定。
このゴミをこのまま放置していたら、私がゴミ出しをサボったら、この中の生ごみは確実に腐敗していく。疑いもなく。おそらく今現在でさえもその作業は進行中なはずだ。
私はゴミ出しをサボる(ことができる)。
でもゴミは、腐敗していくことをサボらない。
なぜ??
私がゴミ出しをサボったら、そっちもサボればいいのに!!なんだったら、私がゴミを出してから、収集されてから、燃えた後からででも、腐敗が始まるように作業をいったん止めてくれたっていいじゃないか。なぜ生ごみを腐敗させていく菌(だよね?)たちは、空気も読まず、絶対にサボらずに作業を遂行していくのだろう?
考えてみたら、私はゴミ出しをサボれるけれど、一方では生ごみを腐らせる菌並みにまじめに働いているところもある。
例えば髪や爪は伸びるし、フケや垢がでるのは新陳代謝をしているから。食べたものは消化吸収するし、心臓は死ぬ時までノンストップ。呼吸もまじめに吸って吐いてをやっている。生きることというか成長というか老化というか。しかもこれはゴミ出しをサボることと同時進行で行われている。
ふ~む。
サボる私、サボらない私。よくわからない。意識と無意識?理性と本能?なんだろう??
でもやっぱり、ということは、サボる菌とサボらない菌があってもよくないか?同じ条件で同時進行でよ?!
う~ん。
ないかぁ~。ないような気がするなあ~。なんでか分かんないけど。
まあいいや、とつぶやいて私は立ち上がり、ゴミ袋を手にもって外へ出た。理屈はともかく、このゴミを次に持ち越すのはヤバい、と私の頭が判断した模様。収集時間が近い。