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花束みたいな恋、星屑のような失恋

花束みたいな恋、の対義語は何だろう。

『ゴミ屑みたいな失恋』『花びらのような愛』、『冬のような無関心』――考えた末に辿り着いたのが、『星屑のような失恋』だった。

正確な対義語ではないかもしれない。けれど、晴れた日に花束を抱えて歩く二人――麦くん(菅田将暉)と絹ちゃん(有村架純)――を見た時に浮かんだのは、星の綺麗な夜に、彼あるいは彼女が一人で歩く姿だった。

別れることが分かっている二人の恋の物語。それを、最前列でポップコーンを食べている男の子は、初々しく寄り添うカップルは、高そうな服を着こなしたマダムは、髪色の明るい女子大生グループは、一体どんな思いで観に来たのだろう――私は真ん中より少し後ろの席で、薄いアイスティーを飲みながら考えていた。

ここでは詳しくあらすじは書かない。導入として私が言えるのは、菅田将暉に程良く怠惰で程良く性欲のある大学生を演じさせたら彼の右に出る者はいないということと、坂元裕二さんは「言わなかった言葉」を「言葉」により描くプロだということと、劇中で出てくる黒猫がとてもかわいいということくらい。

この物語は、恋人が出会い、別れるまでの五年間を描いたものだ。

その中で丁寧に描かれるのが、二人の「すれ違い」。

馴れ初めの多くがそうであるように、二人が言葉を交わし距離を縮めるきっかけとなったのは、お互いの「好きなもの」だった。文学、映画、舞台。二人にはタイトルだけで、言わなくてもその内容が分かるものばかりだった。

しかしお互い社会に出ると、生活リズムは学生やフリーターだった頃と変わっていく。特に麦くんは仕事が忙しく、今まで好きだったサブカルを享受する心の余裕がなくなっていく。

そんな時、二人は口論をする。テーブルには紅茶と缶ビール。何も言わず転職しようとしていた絹ちゃんに対し、麦くんは「仕事は遊びじゃない」と声を荒げる。絹ちゃんはあくまで麦くんの言葉を受入れようとする。「遊びじゃんそんな仕事」「そう、だね。遊びかもしれないね」。結局言い合いになるものの、ビールをお互いの頭にかけあうとか、紅茶をぶちまけるとか、そういう激しい喧嘩にはならない。お互いがほどほどに言い過ぎ、ほどほどに我慢したところで、絹ちゃんのパソコンを覗いて麦くんは言う。

「今、何観てるの」

それに対し、絹ちゃんはタイトルを答える。その後に小さく、

「…ってやつ」

と付け加える。

些細なシーンなのだけれど、この「…ってやつ」という言葉が、私にはすごく刺さった。

単語にして四文字の言葉。それが付け加えられることによって、「言わなくてもこの人は分かる」から「この人には言わないと分からない」に気持ちが変化してしまった絹ちゃんの寂しさを感じて――胸の奥がぎゅっとした。いつの記憶だろう。思い出さないことにした。

「言わなくても分かる」相手だから付き合う。けれど次第に「言わないと分からない」ことが増える。これはきっと、恋人間に起こりうることの一つだ。言えば喧嘩になることも、それが致命傷になり別れることもある。言わなければ、不満や寂しさは次第に蓄積されていく。「言ったら分かり合えた」となれば良いが、そうなれなかった二人に待つのは「言ったところで分からない」という虚無感だ。それは「もうどうだっていい」に繋がっていく。

この年になると(という枕詞はとても年寄りくさいし私はまだ二十ニ年ほどしか生きていないのだけれど)、別れる=バッドエンドとも、別れない=ハッピーエンドとも定義出来なくなってくる。「好き」と「付き合いたい」と「結婚したい」と「一緒にいたい」も、同じ=では結べなくなっていく。

この映画を恋人と観ない方がいい理由は、通じるものがあって付き合った相手の中に、自分とは相容れない価値観や記憶を見つけてしまう恐れがあるからかもしれない。それを受入れたり、そのことで喧嘩したりする覚悟とエネルギーがあるなら、是非恋人と観に行くべきだと思う。

勿論一人で行っても友達と行っても家族と行っても不倫相手と行ってもいいと思う。

「どうしたら二人は別れずに済んだのか」を考えながら観てもいいし、「別れたことは幸せだったのか」を考えながら観てもいいし、猫かわいいなと思いながら観てもいい。

過去の恋愛を思い出したり、今好きな人を思い出したり、かつて好きだった人を思い出したり、会いたくても会えなくなってしまった人を思い出したり。休日の映画館で、一体どれほどの人が、どれだけの人に思いを馳せながらあの映画を観たのだろう。そんなことを考えていてもいい。

麦くんは五年間、「浮気なんてしたことがなかった」。絹ちゃんと一緒にいるために夢を諦め、ブラックな会社で心を殺しながら働いた。彼なりに、彼女のことを大切にしていた。
けれど絹ちゃんにとっては、好きなものを共有出来なくなったこと、「あのパン屋さん閉店しちゃってたよ」というラインに対して「駅前で買えばいいじゃん」としか返事が来なかったことは、「大切にされている」とは思えないことだった。
相手を大切にする方法も、大切にされていると感じる心の感度も、それぞれ違う。どちらが正しいとか、間違いとかではない。だから恋愛は難しい。やってられない。あなたも正しいし、私も正しいから。

恋愛なんて、何て不合理で面倒くさいものなんだろうと思う。種を残すことが生き物の使命だとしたら、何も考えず交尾だけしていればいいはずなのに。私たちはそんなことを考えずに人を好きになる。傷つき疲れてもう恋なんて二度とするかと思っても、懲りずにまた誰かを好きになる。

恋愛は人間に与えられた、厄介で美しいものの一つなのだと思う。

二人で満開の花を抱えて歩くのも、一人で星空を眺めながら歩くのも、どちらもまた美しいと思うんです。

私は、とても好きな映画でした。

でも、映画の半券は栞にせずに、くしゃくしゃに丸めてすぐに捨てました。

泣いたか否かは、私だけの秘密です。

取り急ぎまして。



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