あなたを迎えにいく日まで
年末、というのはどうしてこんなにも、
人生を直視せざるを得ないんだろう。
あの頃のわたしが生きていた部屋で、
ひとり呆然と、時計を眺めている。
人間がつくりだした概念の手のひらで、
私たちは否応なく、
「来年」というものに向かわされている。
小説家になりたかった。
小説家になれなかったら、
私の人生に意味などないと思っていた。
書いて書いて書いて書いて、
40分に一本しかない電車を待って、
家出して絶望してへらへらして、
泣きながら書いて書いて書いて書いて、
ここまで生きた。
20歳より先に人生があるなんて、
信じられないままここまで生きた。
私は大人になった。
つらいとき咄嗟に精神世界へ逃げ込む術も、
記憶にもやをかける術も、
世界と同化する術も、
へらへらとうまく道化する術も、
ちゃんとひとりで覚えた。
小説を書いているくせに、
今でも必死で書いているくせに、
「まあ趣味なんで」という顔をして、
社会に馴染んでいるふりができるようになった。
書いていないと死んでしまうのに、
書かないと生きていけないのに、
書くのがこわくて、
受け取られるのもこわくて、
負の感情を浴びることに耐えられなくて、
ペンも原稿用紙も捨てて、
世界の果てに逃げたいと思ったりして、
それでもまだ、書いている。
私はずっと、書くことで、
誰かの傘になりたいと思っていた。
でも、
傘をいちばん欲しているのは私自身だった。
今年の自分の命題は「救い」だった。
全部の世界線の自分を救えるような、
小説を書きたかった。
どんなに生きる場所が変わっても、
周囲の状況が変わっても、
記憶が新たに上塗りされても、
救われなかった自分は今も、
私の隣で泣いているから。
私はずっと、あなたを救いたかった。
あなたを救うために、
今年、長編小説を書いた。
でも脱稿以来、
一度も読み返せていない。
いのちをかけてあなたを救いたかった。
でもそれは、今の私のエゴになっていないか。
そんなものであなたは救われるのか。
こわくて、まだ、読めない。
あなたにどう届くか、知ることがこわい。
でも必ず、あなたに届ける。
あの頃のあなたに、
生きていてくれてありがとうなんて、言えない。
地獄にいるあなたにかける言葉は、
今でも、見つからない。
やせ細ったあなたの手を
どうしたらあたためられるのか、
骨ばったあなたの頬を
どうしたら撫でられるのか、
まだ、わからない。
だから、書いていたいと思う。
あなたに届く言葉を。
ね、
この世界は、やっぱりどうしようもないよ。
性別だけで搾取されることもあれば、
一方的に好意を向けられ、
簡単に悪意に変えられることもある。
書きたいという願いごと踏みつけられ、
尊厳ごと奪われ、
何もかも壊されたと感じる夜もある。
当たり前の幸せが遠くて、
くるしくてくるしくて、
SNSなんて全部ぶっ壊れちゃえと、
泣きながら眠る夜もある。
でも、でもね、
ときどき、ほんとうにときどき、
生きていてよかったと思える瞬間がある。
信じられないかもしれないけど、
まだ死にたくないと思える瞬間があるんだよ。
それを、あなたに伝えたい。
私は、何も誰も恨まない。
私は私を救うために、書き続ける。
それを見つけてくれた誰かが、
そこに光を見出してくれるなら、
それは、あなたの感性が美しいからだと言いたい。見つけてくれてありがとうと言いたい。
あなたの人生が救われていることを願いたい。
どんなに深い地獄にいても、
光を見つけられるような、
そんな小説を、書きたいです。
来年は、本をつくろうと思っています。
見つけてもらえたらうれしいです。
最後に、私を生かしてくれた歌詞を書き記して、
今年最後の発信とさせていただきます。
よいお年を。
とかいうけど、
よい、なんてものさしは捨てていいよ。
みなさんがみなさんの人生を、
楽しく踊っていられますように。
来る明日が、救いの名をしていますように。
いつも、ありがとう。
よい明日を。