「さん付け」に感じた違和感、改めて考えた納得感
こんにちは。
地方でフリーランスをしているアラフォーしずくです。
わたしはフィギュアスケートが好きで、試合はもちろん、選手、衣装、振付、ブログ、カメラマン・記者の方々など多方面のチェックを欠かしません。
今期から始まったアニメ「メダリスト」も毎週楽しみに見ています。
そして先日第2話も視聴しました。
主人公2人に影響を与えるキャラクターが登場してきて、先行きが一層楽しみになりました。
ストーリー展開もよく、オープニングからエンディニングまで終始ワクワクした気持ちがありましたが、1箇所だけ気になったこと。
それは、26歳の司先生が小学5年生のいのりを「さん付け」で呼んでいること。
小学生くらいまでの習い事では、「ちゃん付け」や「くん付け」が多いイメージがあったので若干の違和感を感じました。
聞き間違いなのか、またはジェンダー平等の観点から「さん付け」にしているのかなと考えましたが、どうしてなのかが非常に気になり、漫画を先読みしてしまいました…!
その後の展開については控えますが、司先生はずっといのりを「さん付け」で呼んでいます。
読み進めてみて思ったのは、司先生はいのりを子供扱いせず一個人として接していること。
子供だからと言って甘やかすことをせず、自主性を養い、前に進むための決断をさせています。そして、小さなことから成長を促し、自分で責任をもつことの大事さを教えています。
選手1人の人生を背負う司先生の覚悟を感じました…!
子供扱いする方がずっと楽だと思いますが、いのり自身が自ら考えて行動できる選手になるために相応の覚悟で対峙。
こうした意識の違いって結構重要ですよね。
子供扱いしていると、いつまでも子供から抜け出せません。
大人になるには、個人として接してくれる大人の存在が必要。親でもなく、学校の先生でもない身近な存在がそうしてくれるのはとっても貴重です。
わたしは子供がいませんが、今後の人生で子供に携わることがあった際には、この視点を忘れないようにしたいと思います。
そして今後のメダリストも楽しみです。
ではまた。