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読むことだけが人生だ #わたしの読むスタンス

 あきらとさんの、こんな記事を読みました。

 あきらとさんの、感想noteを読むといつも、感心しっぱなしでいる、その理由がここにありました。このnoteを見た後で、いくつか読み直してみましたけれど、なるほどまさに、「人」を読み、「気づき」を得て、広がっていく、これがあきらとさんなのだなと。やっぱり尊敬のまなざしを向けるのでした。


 そして、今回書かせていただくのはこちら。


 そうだとして、私にとって、読むとは何だろうかと。

 正直、微塵も考えたことがありませんでした。

 あれだけ普段のnoteで「考えるのが苦手だ」と公言して憚らないのですから、それも当たり前のような気もするのですけれど。これを機会に、自分にとっての「読むこと」を、少しでも理解できればいいなと思っています。

 ぶっちゃけ面白そうだから書きました。(台無し

 とりあえず、分解しないと書けそうにないので、初めて目次というものを使ってみようと思います。



1.いつ読む?

 家にいる間は大体読んでます。普段、仕事から帰宅すると、すぐシャワーを済ませて、ご飯を食べて、食休みして寝るのが大体のパターンなんですが。この、ご飯を食べるタイミングで、本を持ち出します。そのあとはトイレも、歯磨きも、煙草を吸うときも、何をするにも片手に本を持ったままで。そのまま2時間くらい過ごして就寝します。

 稀に出かけることがあります。車の時はさすがに読めませんが、助手席に雑誌が積まれていることが多いです。なんかの時間で読むんでしょうね。人を待つ時間があったりすると、「読むチャンスだ」などと喜んだりしてます。

 電車の場合は、体調が悪くないとき、主に頭痛がしない、眠気がないときは必ず読んでます。これまた「チャンス」ですね。

 こうやって書くと、なんか隙あらば読もうとしていて、ちょっとどうかと思いますね。ほかに目を向けるところもあるだろうに。いや、読むことは悪くない、むしろ偏ることが悪いのだ。


2.なに読む?

 家にいるときはライトノベルを読むことが多いです。昔は漫画ばかり読んでいましたが、たぶんその代わりなんでしょうね。とにかく、こことは全く別世界のものを読みたがります。自分の経験のないこと。違う世界のこと。一般小説は舞台が現代なので自宅ではあまり読みません。鬱々しだします。

 休みの日(ないけど)などで上手く時間が取れれば、積んである本を読もうと思うことがあります。自己啓発書や歴史、哲学、政治入門、エッセイなどがありますが、そもそも触れる機会が少ないので、増える一方です。

 前述しましたが車では雑誌が多いです。持ち運びの関係か、それとも本の作りの関係でしょうか。ただ、ここ最近、人と待ち合わせることなど皆無なので雑誌もたまる一方です。

 電車に乗るときは、一般小説かエッセイが多いです。近場には車で移動するので、電車に乗ると、必然、移動距離が長くなります。ある程度まとまった時間が取れる上に、多少気分が引きずられても、歩き回ることになるので鬱々しないというのもあるようです。最近では、エッセイを持ち歩く代わりに、皆さんのnoteを読むことも。

 また、あまり邪魔されたくないので、職場の休憩中なんかには絶対に読みません。絶対にだ。

 ちなみにnoteはSNS感覚なんですが、読むには少しだけ時間がいるので、家にいるときが多いです。


3.なんで読む?

 これ、取れる時間的に、読んでる本の8割がライトノベルなせいなんですけれど、ほぼ現実逃避のために読んでるようなところがあります。もちろん面白いからとか、好きだからとか、いろいろあるんですけれど。究極、今自分がいる世界から、眼を背けていたいんだと思います。そのためには、今の自分が存在する世界や環境に近いものでは逃避になり得なくて。むしろ想起されるせいで、避けねばならないものとまで思っていたりするようです。作品は悪くない、自分の心の弱さが悪いんだわ。

 noteを読むことに関してはこちらをご覧ください。

 こんな文章書けたんですね私。正直驚いた。

 読み直してみたんですけれど、やっぱり私は、自分にはない何かを、誰かの文章に求めてるんじゃないかなと、思います。それはたぶんnoteだけの話ではなくて。先に挙げた本たちも、それこそ、よく読む本もたまに読む本も。それは知識であったり、技術であったり、表現であったり、感情であったり。知りたいから読みたい。知らないから、面白い。面白かった経験が、また次を読みたくさせる。そうなるともう止まらなくて、そのループを延々と繰り返しているような、そんな気がします。

 「自分を高めたい」とか、「教養を身につけたい」とか、そういう理由よりも、なにより読むことが楽しくてしょうがないんだと思います。それを活かそうとか、糧にしようとか、そういう意識がまるでないところが、非常に残念で、我ながらちょっとどうかと思います。

4.その他もろもろ

 読むときは基本的に一人でいるときです。図書館に行ったりもするのですが、蔵書に目移りしてしまってもう読むどころじゃありません。背表紙眺めて本棚の旅。気になる本リストを作らせたらとんでもないことになりそうです。面白そうなので今度やりましょうね。

 本屋さんに行くと、仕事目線で見ることが多いのであまり楽しくありません。ただ、大きすぎる本屋さんとかだと、図書館的な楽しみ方ができるので割と好きです。でも立ち読みはしません。というか楽しくないのです。たちっぱなしで、周りを気にしながらになるので、全然没頭できないんですよね。雑誌の中身をちらりと確認するくらいで精いっぱいです。みんなよくがっつり読めるなぁと感心してしまいます。同じ理由で、電車で立った場合、ほとんど本は読みません。

 まわりに自分ほど読むのが好きな人がいないせいというのもあるのですが、人を自分の部屋にあげると、本の量に大体驚かれます。気になる本があれば好きに読んでもらうようにしているので、その間私は別の本を読んだりします。相手の様子を見ながらなので、いつでもやめられそうな雑誌か漫画を読むことが多い気がします。

 読むときは大体ベッドで読んでます。というか、自宅にいる時間の9割はベッドの上で過ごしています。なんとパソコンとベッドが隣接しており、椅子を必要としない配置に。ベッドから降りるのはご飯、お風呂、トイレと喫煙のときくらいでしょうか。 


5.まとめ

 以上が私の「読むスタンス」となります。とにかく考えないせいで、読書の意味がないと思われるかもしれませんが。まとめてみると「とにかく読みたい」「ゆっくり読みたい」「ただただ楽しいだけ」ということがわかりました。ほんとにろくでもないですね。ただそのおかげで生きられているような気もしているので、本の存在には感謝しかありません。

 たぶんこれから先も、ひたすら読もうとして生きていくんじゃないかなと、ぼんやりと思っています。読書好きに幸あれ。








 文筆乱れてお目汚し。失礼致しました。

 本城 雫


いつも見ていてくださって、ありがとうございます。 役に立つようなものは何もありませんが、自分の言葉が、響いてくれたらいいなと、これからも書いていきます。 生きていけるかな。