大阪・四天王寺・絵堂 【聖徳太子の一代記】
毎月21・22日は、四天王寺の縁日。
この2日間は伽藍拝観が無料です。
伽藍の東、聖霊院・絵堂に行かれたことはありますか?壁面に聖徳太子(厩戸王)の一生が描かれています。
絵堂は、22日のみ一般公開です。
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四天王寺
もより駅は……
●大阪メトロ(谷町線)・四天王寺前夕陽ヶ丘駅…徒歩約5分
●JR各線・大阪メトロ(御堂筋線)・天王寺駅…徒歩約12分
お大師さん・お太子さんの発音「おだいっさん」
■毎月21日は「お大師さん」
(弘法大師の月命日)
■毎月22日は「お太子さん」
(聖徳太子の月命日)
両日とも大阪人の発音は「おだいっさん」。
いいやすいでしょ。大阪らしいというか。敬意と親しみをこめて「さん」づけします。もちろん四天王寺は「四天王寺さん」です。
■毎月21・22日は四天王寺の縁日。屋台・露店 (古着や骨董品など) がひらかれます。
■四天王寺式伽藍配置とよばれる伽藍の拝観料300円(大人)が「おだいっさん」の2日間は無料になります。
お堂のなかは撮影禁止です。
5月は暑すぎず、おでかけにちょうどいい季節。前日の21日に露店の人気商品は、ほぼ完売。22日は、比較的ひとがすくないのです。
聖霊院・絵堂
四天王寺式伽藍の東にある聖霊院(通称:太子殿)
正面に入口はありません。左手にまわります。壁画の保護のためか、ちいさな入り口です。靴をぬいで上がります。
ご注意・堂内撮影禁止です。
聖徳太子・一代記
説明文・入り口で配布されます。「四天王寺 聖徳太子 絵伝」1枚の紙。これがわかりやすく、興味ぶかいのです。
すごろくみたいでワクワクします。壁一面の聖徳太子・一代記。
「ここから」🐎はじまります。
(説明文の絵を拡大しています)
◆五七一年(生前)
母后の夢に輝く救世観音が現れる
◆五七二年(1歳)
馬小屋前にて聖徳太子ご誕生
◆五七五年(4歳)
騒いだ兄弟の為に太子、
自ら進んで父のムチを受ける
衝撃!これいまなら、ダメです。幼児が騒ぐのは普通ですよ……。こんなエピソード知りませんでした。
◆五八二年(11歳)
遊戯では卓越した能力を発揮する
太子、36人の童子らの話を
同時に聞き、漏らさず返答す
どんな遊戯をしていたのか興味がありますね。蹴鞠(けまり)でしょうか?
7人の話を聞き分けた、ではなく36人です! すごいですね。
童子だから文節は短くて良かったかも。
◆五八三年(12歳)
馬飼いに変装し賢者 日羅に会いにゆく
大胆な聖徳太子の姿。
さすが行動力があります。
◆五八五年(14歳)
堀江の川に仏像が投げ込まれる
◆五八七年(16歳)
父・用明天皇が流行り病に!
太子は香を焚き看病に励む
流行り病に、!(ビックリマーク)がついてますね。太子も人の子です。用明天皇はお亡くなりに……。
◆五八七年(16歳)
崇仏派の蘇我軍と
排仏派の物部軍の合戦!
太子も馬子らとともに参加する
蘇我・物部・馬子、歴史が動きます。
たてもの・壁画は左手から右まわりに物語がすすみます。画の描写は細かく生き生きとしています。
その後仏教と文化が入ります。
◆19歳で太子は元服。
◆22歳で四天王寺建立。
五九三年・日本で最初の官寺として現在にいたります。
◆五九八年(27歳)
太子、黒駒にまたがり天空を駆けて富士山へ
◆六〇六年(35歳)
法興寺(現・飛鳥寺)の門が小さく大仏が入らず
ここの部分は伝説のようですね。
金ピカの飛鳥大仏?門を壊したのでしょうか?大変でしたねトリ。コミカルな壁画の部分です。
◆六〇九年(38歳)
斑鳩の夢殿にこもり三経義疏の執筆に励む
◆六一一年(40歳)
猟をする推古天皇を太子が𠮟る
夢殿におこもりの太子。
たいしてアクティブな推古天皇。殺生はいけません。が、推古天皇もストレス解消したかったのですよね。女帝ですもの。
ラスト・極楽浄土へ
◆六二一年(50歳)
太子とお妃様、斑鳩宮にて薨去。
人々、嘆き悲しむ。
(没後)
太子のご薨去にあわせ皆既日食が発生する
ドラマチックな聖徳太子の一代記。壮大に描かれています。
絵堂で、ぜひ実物の壁画をごらんください。伽藍とくらべ、聖霊殿(太子殿)はあまり訪れるひともなく、ゆっくり観覧できます。
【参考サイト】
和宗総本山四天王寺公式サイト
四天王寺
毎月22日に絵殿へ
聖徳太子に会いましょう。
いつも こころに うるおいを
水分補給も わすれずに
さいごまでお読みくださり
ありがとうございます。