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絵描いていられるなら何もいらない、そんな世界で生きてみたい。でも創作だけでは私はまだ満たされない(日記)

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孤高の画家になりたい、わりといつもそう思っている。でも、なんで孤高になんか憧れるんだろう、なんとなくかっこいいから?群れるのが苦手だから?そもそも創作するときは孤独が必要だし、まあ理由なんてそんなところだろうと思っていた。

この間、テレビから流れてきたある言葉がグサリと私の心を刺してきた。
〜人に頼れないのは自分に自信がないから〜
あれっ?自ら望んで孤独を選んでいるんだと思っていたけど、もしかして自分に自信がないから人を頼れないだけってこと?この年齢になってもまだそんな領域をうろうろとさまよっているのだろうか?いや、昔よりも歳を重ねるほどに、人に頼れなくなってきている気もする。
みんなで何かをやるって面倒でトラブルも多いけど、そんななかで呼吸が見事に合う瞬間みたいなのがあって、ひとりでは味わえない何ともいえない快感がある。そういうのをもう何年も経験していない。

ほんとうに孤独を望んでいるのだろうか?
それともただ怖いから逃げているだけなのだろうか?
こんなことを考える暇もないほど世間は忙しく見えるし、みな急いでどこかに向かっている、私が知ることもない世界へ。

創作をしている人たちのなかには、創作するという行為で得られる恍惚感を味わっている人も多い(実際はどうなのか知る由もないけれど)深く深く潜って創造的世界と繋がって、何にも代えがたい確固とした何かを掴んでいる芸術家も多いようだ。そんな人たちは、絵を描ければもう何もいらない、そんな世界にいる。私もそんな世界に行きたかったし、行けると思っていた。でもまだ行けずにいる。行きたいのだから進めばいい、もう見えるところまで来ている。それなのに、怖気づいて行けないでいる。自分で自分を満たすということが怖いからかもしれない。自分に自信がないから自分ではどうすることもできないと思っている。他人の力を借りないと、他人じゃないと満たせないとどこかで思っている。そんな自分を変えたくて、孤独を選んだというのに、孤高に憧れているというのに、ほんとうの自分は何を望んでいるのかわからなくなる。
この寂しさは何なのだろう?答えはうすうすわかっている。ただ自分の自信のなさを人で埋めたいだけだ。こんな状態で人に頼ったとしてもろくなことにならないだろう。そんな思いが人に頼るなと私にブレーキをかけさせる。その結果、ずっと孤独な気持ちは続いていく。

絵を描いていられるなら何もいらない、そんな世界で生きてみたい。でも絵だけでは創作だけでは私はまだ満たされない。

それでも作品の価値がそこで決まるわけではない。このもやもやが、行ったり来たりしているかっこ悪さが創作に良い影響をあたえてくれるという面だってあるから。だからもう少しだけ、未来に期待しながら進んでみようと思う、でも、未来ばかり見ていてもつまらないから、今を、目の前を満足していられるように進んでみようと思う。

自分の内側から発せられる何かを、掴んだと思ってもすぐに消えてしまいそうなそれらを、1枚でも多く作品にしたい。同じ感性や同じ心象風景を持つ人たちの元に作品を届けたい。と願って日々描いています。またサポートして下さることでいのっちの電話に使える時間も作れるので助かります!