ゴリラ 畑やめるってよ 市民農園引退
どうもゴリラ不動産です。
前回は、市民農園のすすめという記事を書いて、みなさんに市民農園のメリットを大声でうたっておりましたが…畑をやめることになりました。
夏の畑は、過酷すぎる
季節は夏。
猛暑に次ぐ、猛暑。
僕は畑をなめていた。週末農業と称して、市民農園を楽しんでいたけれど、畑の作物の成長は待ってはくれない。1週間で本当にあっという間に成長してしまう。思春期の身長の倍は早いと思う。
引退を決めた 巨大ズッキーニ
春までは、夏野菜の収穫に向けてトマトやズッキーニ、ナスなどを育てていたのだが、夏の暑さに負け、蚊の襲撃に耐えられなくなり、畑に行く回数は徐々に減っていた。
そして、茶色だった畑は、あっという間に、雑草によって緑色に染まった。
ここまでくると、もうお手上げだ。
自分が植えた植物なのか、自然に生えた植物なのか見分けがつかない。
プロ野球選手が引退をするきっかけで、「今まで出来ていた事が、急に出来なくなった。体が付いてこなくなった」など引退のきっかけを話すことも多い。
僕の畑引退宣言は、「ズッキーニを巨大化させてしまった。収穫時期に付いていくことが出来なくなった」である。
巨大化する野菜たち
雑草が生い茂る畑の中から、最後の収穫を行う。
ねぎは、ネギ坊主が出来、ズッキーニは笑ってしまうほど巨大化している。
オクラも巨大化が止まらない。
収穫時、いや適食時期を逃した野菜は、もう手の付けようがない。
ギリギリ食べられそうな野菜を収穫して、僕の週末畑ライフは終了した。
都会の喧騒を離れ、土の香りに包まれる。それは、市民農園での至福の時間への入り口。
種を蒔き、水をやり、太陽の光を浴びて、小さな芽が力強く伸びていく。その成長を見守る日々は、まるで我が子を見守る親のような気持ちになる。
そして、その成長を見守ることも出来ないくらい、成長は加速する。
収穫した野菜は、スーパーで買ったものとは比べ物にならないほど新鮮で、生命力に満ち溢れている。口に運べば、大地の恵みが五感を満たし、心まで満たされる。
夏に自分で育てた枝豆を汗だくになりながら収穫して、キンキンのビールと一緒に食べた枝豆の味は忘れることはないだろう。
農作業は、体だけでなく心も解き放つ。土に触れ、汗を流すことで、日々のストレスから解放され、自然と調和する感覚を味わえる。
「仕事のストレスに対しては、別のストレスをぶつける」という新たな療法を生み出した。
市民農園は、単に野菜を作る場所ではない。それは、自然と触れ合い、自分と向き合い、そして人と繋がる場所。慌ただしい日常から一歩離れ、心をリセットしたいとき、市民農園は最高の癒しと疲労を与えてくれる。
そして、自然の厳しさに直面するのである。
僕は、自然の厳しさに負けてしまった。周りの時間の融通がきく、じいさんばあさんに、雑草という迷惑を振り回して。