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ぼくら飼主への神様の仕業

ぼくら飼主が共に暮らす動物との出会いは、神様の仕業かもしれない。


動物と共に暮らすことで、喜びもうれしさも、楽しさも、悲しさも、つらさも、苦しさも味わうことになる。


その経験をすることで、人として成長できる。


ぼくのところに猫を置いていったのも神様の仕業かもしれない。笑


人として未熟で、自分勝手で自己中で、無知蒙昧で


どうにもならんから、あいつを成長させるには猫と共に暮らすことで、人として成長させてやろうと


神様が思ってくれて、ぼくのところに猫が来たのかもしれない。


ぼくは、うちの猫がくるまで、完全犬派でいつか大型犬と共に暮らすことを夢見てた。


最初に働いた動物病院では、土佐犬やボクサー、ドーベル、グレートデンなどが、よく診察に来ていて


大型犬がクソかわいくて土佐犬の散歩とか、行かせてもらってた。


ぼくもいつか大型犬と共に暮らすんだと思ってた。


そんなぼくのところにうちの猫がやってきた。


猫と共に暮らすなんて、思ってもなかったんよー。


猫と暮らしはじめたら、すっかり猫派になってもうた。笑


猫派になることで、猫の慢性腎臓病の勉強もしたし、ホモトキも導入したし、先代の猫の死に様をみて


終末期医療のこと、看取りのことも勉強するようになって


人の終末期医療や看取りの勉強することで、グリーフケアのこととか、メンタルのことも勉強して


人としてちーたーましな人間に成長したところもあると勝手に思ってる。


まぁ未だ自分勝手で自己中は変わらんけどね。笑


ぼくのところに猫を預けた神様に感謝する。


ホント動物との縁は不思議なもんで


なんでうちに来たのか?

どうしてこの子なのか?

いくつもの偶然が重なって、ぼくのところに来た。


やっぱり神様の仕業じゃねーって思う。

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