
女狐処理屋。
足は風俗区域に向かっていた。
赤提灯、電飾看板、客引きの甘い勧誘、特有の熱気、湿気混じりの夜風、笑い声と嗤い声……。
人々が夢へ向かう時間、ここは夢を提供する。
「湿気の街」の風俗区域。
凶暴な怪物達を目覚めさせ、受け入れる場所。
どんなに客引きに猫撫で声で容姿を褒められても、どんなに木製の檻から上目遣いをされても、止まることはない。行く店は決まっている。
この街のラブホが乱立するエリア、ラブホ区域は「湿度の高い鶯谷」と呼ばれている。
だったら、この風俗区域は「湿度の高い吉原」だ。一般的なものからマニアックなものまで、多種多様な店が並んでいる。
欲望を満たす為のエリア、それが風俗区域だ。
足を止める。
目の前には、昔ながらの木製の店が1軒。
右端に「女狐処理屋」と白色で記された電飾看板が赤色に光っている。
引き戸を開け、中に入る。
旅館で見るような和風の玄関。
「いらっしゃいませ」
低く掠れた声が玄関に響く。
そこには狐のお面を被った小さな女が1人。床に細く皺のない綺麗な手をついて、正座をしている。この店の店主だ。
「本日もご来店ありがとうございます」
真っ赤な着物を着た彼女は、幼女と言われればそう見えるし、老婆と言われても頷ける。
「今夜は如何致しましょう?」
狐のお面の店主が軽く首を傾ける。
「いつもので、お願いします」
コースを注文をする時、毎度少しだけ恥ずかしいような、照れ臭いような感覚に襲われる。
「かしこまりました」
それでも、店主は何事もなかったように淡々と、それでいて上品な掠れ声で頷く。
「……『脛』、『剃』、『粘』、『桃』ですね」
「はい。お願いします」
店主は足元に置いてある黒電話でどこかにかけると、注文内容を伝え、電話を切った。
「ただいま、お迎えに上がります」
そう店主が言い終わったと同時に、彼女の後ろにある襖が開いた。
うん、いつもながら早い。
「桃さん、久し振り」
「お久し振りです、探偵さん」
出迎えてくれたのは、桃色の着物を着た女。彼女も狐のお面を被っている。
「さ、どうぞ、こちらへ」
彼女の柔らかい声に連れられ、店の奥へと進んでいく。
廊下の両側には、ずらりと自動販売機が並んでいる。この長い道を灯す唯一の明かりだ。
「今夜も被らないんでしょう?」
「あぁ……」
自動販売機には様々なお面が陳列されている。動物や鬼、老人、何かのアニメのキャラクターまで、多岐に渡る。
行為を行う際、顔を見られるのが恥ずかしい客がここでお面を買う。
廊下を右に曲がる。
そこにはもう自動販売機はなく、その代わりに約2、3メートル間隔で引き戸が設置されている。
今度は引き戸の上にある赤提灯が廊下を妖しく照らしている。
「さ、上がってください」
桃に連れられ、右側の、手前から4番目の部屋に入る。
六畳一間の和室。床には布団が1枚引かれている。
「疲れたでしょう」
桃に後ろから優しく抱き締められる。
「今日もいっぱい気持ちよくなってくださいね」
甘い匂いのする息と彼女の囁くような声で、もう身体に力が入らなくなる。
抱き締められた状態で布団の上へ。
両脚を伸ばし、桃に身体を預ける。
「ふふ……では、『剃』を始めますね」
桃が右手に持った剃刀を俺の右脛に軽く当てた。
ささ、さささ、さささささっ……。
剃刀で毛を剃る音が耳に心地のいい。肌と刃が触れ合う度、胸の奥に適度な刺激が伝わる。
「痛く、ないですか?」
「……はい……」
頷くのがやっと。蕩けるとはこのことか。
さささ、ささ、ささささっ……。
脛毛を剃られる度、身体の内側にこびり付いた嫌な記憶に切り込みが入る。
さささ、さささささ、さささささささ……。
コンクリート造りの冷たい部屋、裸電球……。
さすっ、さすさすさ、すささささ……。
黄緑色のゴム手袋、濃紺色のエプロン、鉄製の机と椅子……。
すさささっ、さっ、さっ、さっさささっ……。
吐き出したいぐらい溜まりに溜まった映像に、ノイズが入る。それは段々と粗くなっていき……。
「では、『粘』を始めますね」
気が付くと、両脚の脛毛が薄くなっていた。
べらべらっ、べらりぃっ、べらべらっ……。
桃が桃色のガムテープで残りの脛毛を処理していく。先程と同じく、まずは右脚から。
べらべらべらっ、べらべらっ、べりべらべら……。
貼ったガムテープを剥がされる度、肌が引っ張られる。気持ちいいと感じてしまう程の、適度な強さで。
べらべら、べりべらべらべらべらら……。
「そうですよね、伸ばされたかったんですもんね、ずっとずっと、びぃーって伸ばされたかったんですもんね」
「……は……はひ……」
そうだ。伸ばされたかったんだ。こうやって、びぃーって。皮をびぃーって、いっぱい、いっぱい……。
べりべり、べりべり、べりべりべり……。
脛毛を抜かれる度、ノイズが混じってぐしゃぐしゃになった嫌な記憶を鷲掴みされる感覚になる。
べらべらべらべら、べるべろばりべろ……。
そうして丸められた映像は、桃色のガムテープによって強引に剥がされていく。
べらべら、べりるり、べらべるり……。
「あ、ああぁ……あぁぁぁ……」
情報を得る為に拷問した人々の苦痛に歪んだ顔、鞭の音、絶叫……。
べるり、べるり、べらべらべら、べりべりべり。
大振りのペンチ、血、歯茎、血、歯茎、血、歯茎、血、歯茎、血、歯茎!
べるらり、べるらり、べるべるべるらり!!!
血、血、血、血、血、血、血、血、血血血血、血血血血血血血血、血血血血血血血血血、血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血、歯!!!!!
べりぃっ!!!!!!!
大量の歯が入った花瓶!!!!!!!!!
「あぁぁああぁぁあああぁぁああああぁぁあああああぁぁぁああああああぁああああぁぁああああぁぁっ!!!!!!!!!!!」
*
空っぽの頭で、薄汚れた天井を見上げる。
何も考えられない。唯一思えるのは、後頭部の下にある桃の太腿が柔らかいということぐらい。
もあもあと、煙草の煙が上がっては消えていく。
今宵もこの区域では、凶暴な怪物達が目を覚まし、満たされていっていることだろう。
「探偵さん、寂しいですが……お別れのお時間です。また、いらしてくださいね」
「……あぁ……」
欲望を満たす為のエリア、それが風俗区域だ。
【登場した湿気の街の住人】
・拷問探偵
・狐のお面の店主
・狐のお面の従業員、「桃」