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箱女になりたいーpays des fées の kitkat

編集者で詩人の四釜裕子さんのブログ「bookbar5」で、朝藤りむさんのことを初めて知った。彼女は北園克衛が好きで、作品に影響を受けて服を作っている。先日、大阪で新作の受注会があってご本人が来阪されるとのことで、インタビューしてきた。ついでに、わたしも一枚服を注文した。ショートパンツなのだが、試着するのを忘れた。出来上がりは秋だが、それまでに痩せるか、サイズを大きめにお願いするか。



ブランド名はフランス語でpays des fées 直訳すると「妖精の国」。二〇二四年秋冬のコレクションは、「circle in square ⚫️ in ⬛️」―英語を直訳すると「四角のなかの丸」になるが、図像化されたものを言葉にすると、「黒い四角のなかの黒い丸」になる。

黒い四角
のなか
の黒い丸

と、北園克衛の詩ならば表現するところだろうか。朝藤さんは、北園克衛の詩「単調な空間」にインスピレーションを得て、本コレクションを発表したと言っていたが、それ以前の衣装も北園克衛に確実に影響を受けてデザインしていると話してくれた。

「単調な空間」は何に入っていたっけ。北園克衛の作品が紹介されるとき、映像詩やコンクリート・ポエトリーの詩人として紹介されるから、この作品はその代表選手だと言ってもいい。白い四角のなかの白い四角のなかの黒い四角…白の中の白の中の黒の中の黒の中の黄…色と形が造る美や空間を言葉で構築していく手法。初出は『VOU』の五八号(一九五七)、詩集『煙の直線』(一九五九)にその後所収されている。

2014年に思潮社から出版された、北園克衛の実験的作品を集めた選詩集『単調な空間 1949-1978』の中で、北園克衛研究家で詩人そして本書の編者である金澤一志さんが寄せた栞には、世界で多く読まれた作品だが日本では無視された当時の様子が書かれている。元々ブラジル(コンクリート・ポエトリーの創作が活発で、詩人も多く輩出している国として知られる)から依頼されて書いた作品であるらしい。

朝藤さんに、「なぜ、北園克衛?」という、何の捻りもない質問から、インタヴューはスタートしたが、「無になりたい、自由になりたい」という返事と共に、北園克衛のプラスティックポエム上で表現されている「デザインの美しさ」についても熱く語っていた。「詩の中に意味を見ない」は、北園克衛のスタイルだが、「ファッションの中に意味を見ない」を、服で表現したいとおもったのだろうか。わたしはそのようなイメージを抱きながら、服を見て触って、静かな時間もそこで過ごすことができた。

ワンピースの全体のバランスからすると大きすぎるようにも思われる衿は、形が四角で手をモチーフに華やかな刺繍が施されている。欧州の十七―十八世紀ごろのレースのつけ襟を思い起こさせたが、やはり日本の前衛詩人のキャンバス然としている。「単調な空間」のなかにある四角、永遠に続くようにも思われる四角の「はじまり」。あるいは、最後の四角、入れ子構造のような、あるいは、真ん中、夢の途中のような四角…。よく見ると指は幸運を祈るべく2本の指が交差しており、灯火のような目のような不思議な指紋か波のような世界へ誘われている。窓?四角の詩学。

ファッションショーではモデルがヴェールを被り、頭部を顔まで覆い尽くすような場面も。受注会でも販売していたパラシュートファッションのようなオリジナルデザインの帽子も、防護服のように見えて印象的。ちょうど、ラマダン中だったこともあり、イスラム教の女性たちの、髪、うなじ、首筋を覆うため身につけるヒジャブを思い出した。隠したい、匿れたい、そんな欲望が強くなると、隠そうとするものが、対照的に存在感を持って立ち現れる。そんなことを考えていた。

また、北園克衛が編集発行していた雑誌『VOU』も朝藤さんは集めているとのこと、その判型や印刷のカラーにも影響を受けていて、コレクションの招待状も幾何学的で『VOU』のデザインを意識して作ったそうだ。ライターで詩人のこたにな々が文章を担当している。「今期のコレクションは、肉感や温度を伴う皮膚や身に直接まとう「プラスティック・ポエム」であり、僕を私をあなたを朝藤自身を匿名の無機で居させることが出来る救済なのかもしれない」と締めくくっている。


旧作も展示販売していたが、カラフルでプリントも鮮やかなブラウスに興味を持った。尋ねたら、安部公房「水中都市」にインスピレーションを得たという。岩手出身ということで宮澤賢治へのおもいも語ってくれた。文学とファッションの間を自らの手でこんなにも自由に行き来できる若いデザイナーがいるのか、と単純に感動してしまう。ちょうど、主催している読書会の今月の課題図書が安部公房だったこともあって、しばらく見入っていた。彼女の服を着れば、海の中の生き物が透明感そのままに自由に泳ぐような、そう、海を着ることが出来るかのような。まだ一ページも読めていない『箱男』の文庫本を、その日もバッグに入れていた。世界を見つめていたい、わたしが見つめられないままに。なぜわたしはわたしを隠そうとするのか。何にも誰にも埋められることのない絶望的孤独感。孤独の匿れ家で実験的に創作を続けること、表現のスタイルが生まれれば、いつしか他者に過剰な意味を振り撒く。そう、まるで、あの箱男、のように。

わたしが注文した服。サイズを変えてもらえたとして、きっと計算されたデザインが損なわれるような気がしてきた。こちらのからだをスリムにする方が得策か、着用せずに飾るだけにするか。布は身を通して初めていのちが吹き込まれ、着る人のこころとともにある衣装に生まれ変わる。こころは服を着るからだ。わたしのファッション論。ファッションとは苦痛を伴うから美しい、と誰かが言っていた。北園克衛のストイックな美意識を身に纏うために、わたしもからだをデザインしなければと誓う。

りむさんの服で、わたしは箱女になりたい。
 
四釜裕子 bookbar5 ブログ https://bookbar5.exblog.jp/
朝藤りむ pays de fées ウェブサイト https://pays-des-fees.com

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