近況その後:投薬、自暴自棄と発達障害

はじめに

初見読者むけ自己紹介

現在48歳、言語性120の運動オンチ(動作性100)、発達障害当事者(ASD>>ADHD)二次障害で「双極性障害」が酷い。大腸がんサバイバ(切除済、再発なしだが後遺症で普段は寝たきり)。現・在宅ワーカー。元SE。

投薬の是非:デパケンの体感

前回「こんな記事」を書いた。時間経過で少し落ち着いてきたんで、少し突き放して見てみたい。

私は自身の「双極性」に振り回されている。投薬といえば、大事にしてもらってた叔父(単身者)を亡くした後、親戚でいちばん時間のあった私が、膨大な遺品・事務処理を引き受けた。結果、キャパ超えで錯乱し人生初の閉鎖病棟送りになった。

詳細は割愛し、機会があれば別記事に。掛かりつけ医に入院施設がなく、医療保護入院だったので、急遽、普段と別の施設に入った。

その主治医はわりと話の分かるタイプで、人柄は良い。が、独自の「デパケン信仰」があり、入院中はもっぱらデパケンで症状を抑えられた。いわく「双極にコンサータは禁忌」ということだった。

(私もある程度は共感するが)コンサータは躁状態で飲むと、ハイ気味になって自制が難しい。反対に、デパケンは血中濃度も管理されてたので、少なくとも「扱いやすい患者」になったと思う。結果ごく短期で退院できた。

しかし、私はデパケンの効いた自分が嫌いだ。「腑抜けになる」からだ。脳の興奮を強制的に鎮める感じなので、確かに外見上おだやかなにはなる。が、行動力は下がり、ダウナー状態になる。

衝動性が消えて、ボンヤリしてるので、患者としては扱いやすい。しかし本人は鬱状態みたいになり、何にも興味が消えてしまう。だから本当にイヤだった。

コンサータと私

退院後、掛かりつけと、入院した医院をハシゴして比較。障害無理解な父親は後者をいたく気に入ってたが、その医院は場所が遠いし待ち時間も長い。それにコンサータ処方しない。

そのうち、遠いのが面倒になり、コンサータが必要なので、新しい方の通院は辞め、本来の掛かりつけにずっと通っている。(各主治医にも相談した結果)

「私という個人の見解」なので、誤解を与えず表現するのに悩む。

大前提として、私は双極を併発しているっぽいが、もともとADHDがある。コンサータは過去にもしばらく試し、飲まない時期もあったが、近年、やはり必要かなと思って頻度が増えている。

効果に一長一短ある。

コンサータは「ドーパミン再取り込み阻害薬」だ。詳しくはWebで。ADHDは神経伝達物質のバランスが崩れてるので、安定させることで、症状を整える薬だ。

・長所:ブレインフォグ(視界の鈍さ)が消え、行動力アップ。鬱状態から覚醒レベルが上がって「行動ターン」が増す。「寝込む時期に動ける」。また「怒りを感じる状況でもごく冷静に対処できる」のが素晴らしい。

・短所:食欲不振(無理に食うと吐く)、体が張って痛い、過集中(何か始めるとトイレすら行かず没頭)

難しいけど当面服用

私はこれでも「真面目に闘病」しているつもりだ。双極ぽいなと自覚してから、エクセル表を作り、毎日、30分区切りで日々の行動&感情を記録。かれこれ数年続け、投薬タイミングや種類、心理変化など考察。

先にも書いたが、私は双極の中でも「鬱期」のほうが嫌いだ。暑い時期はダウナー、寒い時期はアッパーになる。ダウナー期は、ほとんど寝たきりで、意欲がなく「かつて好きだったこと」に興味すら沸かない。読書、漫画、アニメ、ゲーム、楽器、バイク、IT、なにひとつだ。

鬱は本当にキツイ。すべきことすらしたくないし、できない。体が汚れてもシャワーすら浴びられない。買物に行けない。ところが、コンサータ飲むと改善する(双極無しのADHDの方々も、行動ターンが増えるという)

「自分を観察してる」と書いたが、体感で自分の躁or鬱気味が分かる(自制はできない)。それに加え、最近は身近な母親に「今日は飲むから様子を監視して」とお願いし、投薬の有無でどっちがマシか見てもらってる。

薬の長所として「怒りに対する反応」を書いたが、実際、非投薬だとキレて怒鳴ったりする状況でも、服薬中はそうならない。しつこく母に訊ねたが「投薬中のほうが確かにベターだ」とのこと。

「狂ってなきゃロックなんてできない」

急に話が変わる。私は二十年ほど前、プロミュージシャンを目指し留学したほど音楽が好きだ。才能の限界に挑んで挫折したものの、歳を取ってアマ活動を再開して痛感した。やはり私は「ミュージシャン」であり、芸術家なのだ。

半年くらい前から、あるコピバンでギタリストをしている。先日たまたまライブがあり、じつに数十年ぶりにステージに立った。結果は大好評だった。ギターは下手だが、それでも本当にいいステージだった。

素直にうれしい。会場は実際、大盛り上がりだったし、お客さんも、運営さんも褒めてくださった。(忖度ぬきで良かったと言われています)

録画では、ギターを何度もミスってるし、決して「上手い」とは言えぬ。コーラスの音程も怪しい。それでも。パフォーマンス面ではいいステージだったと思う。

話が逸れそうなので主題に戻そう。読者にどこまで伝わるかの自信はない。私は昔から「勉強だけできて引っ込み思案の変なヤツ」で有名だった。学力だけあり、他からっきしの典型的ガリ勉くんだった。

これは加齢と人生経験から学んだことだが、実際プロたちも、普段は大人しい方がかなり多い。ギターヒーローのSlashや、Zakk(彼とは直接話したことがあるが、ステージと違って物静かな紳士だ)だって、じつはシャイだ。

「必ずしもそうであるべき」とは言わないが、私は普段は猫かぶって、人と目も合わせられないような生真面目なツマラン奴だ。しかし腹の底は自己主張が激しく、ド派手で目立ちたい。

そして「そういう性質」は、狙ってそうなれるものではない。

投薬の話でしたっけ

「双極性障害」については、「完治不可能だから、なるべく自他への被害を最小限にとどめる」しか無いんだと思う。

そして、ライブで痛感したこと。

「双極」いわば「(古い言葉でいうと)二重人格」というのは、芸術活動において有利な面もある。先日、音楽にも造詣の深い友人に指摘されて気付いた。彼によると、一流芸術家たちも(ゴッホ、ベートーベン、薬物やメンタル問題の多いロックバンド等)ある意味においては狂っていた(褒め言葉)

開き直りではなく、友人たちが言ってくれるように、私は自分の「双極性」をいい意味で受け容れて「そういうキャラ」として認めてもいいんじゃないか。

私は、音楽や、イラストや、エッセイを書くのが好きだ。それぞれ中途半端で、とてもじゃないがプロのスキルは持っていない。それでも、これまでより「好き」を大事にしていいんじゃなかろうか。

薬の話に戻そう。

双極については、デパケン以外に、旧友が飲んで安定している「ラツーダ」も試してみた。彼は数年間、かなり激しい症状に悩まされたが、ラツーダ服用以降、かなり安定し、仕事も続いていて驚いた。

私はどうも自分の「躁状態」を失いたくないらしい。ライブ以降、しばらく躁モードに入ってしまい、ひどく浪費した。手痛い出費だったが、この一連の出来事から何も得なかったとは言い難い。

というわけで、今しばらく、双極を安定させるのは諦め、コンサータで様子見してみようと思う。私のことだから、急に気が変わることもあるが、「芸術家としては」双極が自分にとって、何か大事な要素のひとつかもしれないと感じた。

…というのが、投薬に絡めて「本当に言いたかったこと」だったらしい。

ああ、文章がもっとコンパクトに書けたらいいのに!

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