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『読書』について
読書について 他二篇 ショウペンハウエル著 斎藤忍随訳 岩波書店
僕らが毎日やっている最強の読み方 池上彰・斎藤優著、
大人のための読書の全技術 斎藤孝著、
本の「使い方」 出口治明著、...
読書の技法 佐藤優著、
速読日本一が教えるすごい読書術 角田和将著
読書本も上記に、速読法のものも含めると10冊程度読みました。読書についての心がけやコツは得られるものの、知識そのものについては大きな収穫は得難いものです。今後も読書本はどんどん出版されると考えられます。自分のなかで読書本についてのくぎりとして、「古典」であるショウヘンハウエル著の本作を読んでみました。
147ページですが、内容はかなり濃いです。そして読むのに時間がかかりました。読書量1日〇〇冊などいわれますが、これはあまり意味がないと個人的には思っています。
読みやすい、内容のうすい本を何冊よんでも、内容が濃い、あるいはページ数の多い専門書1冊にかなわないことも多いのではないでしょうか。
ショウペンハウエルは読書に際しての心がけとして、よまずにすます技術が非常に重要と語っています。我々の時間は有限であり、無価値な読書は、本来良書にさかれるべき時間を損なうとしています。流行本の多くは寿命が一年程度の内容の乏しいものであり、そんなものに時間をさく暇があれば、古典である過去の傑作にあたれと説きます。
彼は読書は思索を行って初めて価値をなすものであると説きます。思索を行わずに読書をするのは、他人の頭をかりることで自分で考えることを放棄しており、愚の骨頂であるとします。
思索のない多読を否定する一方、読んだ内容を消化し、自分の思考にくみこむことで自分自身の思想を構築するのであれば、多読は有用としています。
その他にも、良書を複数回よむことでより内容への理解が深まることであったり、一つの事実の中から普遍的な事象(比喩することは普遍的な事象をとらえられるからこそ、最適なたとえが可能になるとする)を抽出する大切さなど、実に様々な考えが記述されています。
この本を通して、教養の大切さが少しわかった気がします。
一つには長い歴史の中で生き残る知識というものは、時代を超えた普遍的な真実を含有していることが多い点があげられます。名著をよまずに名前だけでその内容をしった気になって、一年後には忘れられているような形だけのベストセラーを追うのは、優先順位が誤っている可能性が高いのではないでしょうか(もちろんベストセラーの中には今後古典として生き残っていくもの、あるいはすたれてはいくものの今後の自分にとって大きな意味をもつものも含まれているのでしょうが)。
もう一つには、知識人同士の会話の中での共通の話題ができるという点があげられるでしょう。社会でいきていくなら、特にエリートとして活動するには、エリート達とのつきあいが不可避です。その時に週刊ジャンプやテレビドラマだけでは話が長続きしないし、教養がない=人としての深みがないと判断されかねません。
「ムーギーキム/ミセス・パンプキン著 一流の育て方」によると、日本の有名一流大学出身者の親は子供の将来や勉強に口出ししたり、しなかったりと様々であったようですが、親自身の読書量が多い傾向にあるようです。
親の年収と子供の学歴との相関関係がよく語られますが、年収が高い=社会的地位が高い=絶え間ない勉強が必要=読書量が多いと、親の読書量が子供の知性に影響している可能性も充分に考えられます。
私の読書習慣が子ども達にいい影響を与え、子供たちが次の世代を担うリーダーとなってくれれば私の読書もむくわれましょう。
あわよくばハーバードやオックスフォードなどの超有名大学にいってもらえれば儲けものです。そうすれば、それだけで私が本を出せます。そうショウペンハウエルがいうところの「金儲けを目的とした、思想の一切ない、1年もしたら忘れ去られてしまう本」ができあがるでしょう。