人生の味変を樂しんで
今朝方、布団の上でまどろみながら
先日訪れた東京大學のキャンパスの光景を夢現で見ていました。
その光景の中で過ごして
樂しい感情を持ちました。
もう一つの世界線の僕がそこにいたんです。
その僕は
いわゆる普通に人生を生きていて
いわゆる普通に友と學生生活を樂しみ
いわゆる普通に恋愛生活を樂しんでいました。
今まで生きた現実とは真逆の世界線。
いわゆる普通であることが
いかに幸せであるかをまどろみの中で体験したんです。
いわゆる普通の在り方に幸せを感じました。
そこには団欒があったんです。
他者との団欒と自分との団欒。
団欒とは本來、特別なものではなく
普通に生きていれば、
普通にそこにあるものだったのだな、と氣付いたんです。
家庭環境や學校環境などで
普通に生きていなかったからこそ
団欒を特別なものとして
今の僕は希求している。
ここまでの人生は
恐れが主体のもの。
恐れが王で
恐れで支配される民としての僕の人生だったな、と。
その恐れにより
いわば普通とは異なる
非日常的な日々を体験させて戴きました。
好んで入る
お化け屋敷とかジェットコースターのような
特殊極まりない非日常が
今振り返ると懐かしくさえ感じるのです。
面白い体験だったな、
なんて遠くを見るように。
恐れがなければ
進學も恐れなかったし
恋愛も欲を満たすことも
地位につくことも富めることも
樂しみとして過ごしたんだろう、
とまどろみながら思いました。
このことから
今ある恐れすら
それはアミューズメント的非日常として
樂しいものだな、と思いました。
いわゆる普通の幸せを送る上での条件的に
大學に行って
恋愛して
欲を満たして
地位を得て
富を得て
ということをしてもしなくても、
意識として幸せになれている僕がいるんですね。
今の僕だって
現実の生活を見ればそれはいわゆる普通の日常となりますが、
お化け屋敷やジェットコースターは
その外的現実による中身を味わいたい訳です。
つまり眞に希求しているのは
恐怖によるスリルの感覺です。
ここに非日常を感じ、求める人は求めるのですね。
僕は意識として既に恐れの中におりました。
ですので、わざわざお化け屋敷やジェットコースターを希求しませんでした。
非日常は常に満たされていたからです。
日常で既に心が痛んでおりましたから
ラグビーや格闘技のような
激しいボディコンタクトのあるスポーツを観戦するという非日常を選びませんでした。
日常で既に勝負に敗れていましたから
そもそも勝敗のつくスポーツ観戦自体しませんでしたし、僕自身合否という勝敗のつく試験や競争事をしませんでした。
日常の頭の中で常に思考のサイレン🚨が鳴って止みませんでしたから、
賑やかな場所に行きませんでしたし、
思考を増やす読書もしなかったのです。
僕のHSP要素は
既に日常にあった非日常に
お腹いっぱいのサインとして
表れていたのだと思います。
僕はここまでの人生で
お化け屋敷やジェットコースターのようなアトラクションを樂しみました🤗
人生で起きた現実ではなく
恐れの体験という中身が大切です。
アトラクションには時間制限がありますし、
内容にも制限があります。
恐れという非日常アトラクションが終わってしまったので、違うアトラクションに乗り換えないと。
もう乗っているのかもしれないけれど😊
アトラクションを乗り換えたとて
同じテーマパーク内にいることは変わらないのです。
同じテーマパークにいても
お化け屋敷とメリーゴーランドでは
外的内容も味わうものもまるで違うのですね。
それぞれの人の人生みたいだなって思います。
同じ人間として
同じ地球で
なんなら
同じ町内で生きているのに
こんなにも人生が違うのは、
希求するものの違い。
食べきれない程の
大きなカレーライスに
味変を施すように
僕はこの人生で違う味を堪能するのです。
僕の人生に変わりはない。
カレーライスに変わりない。
でも
味わうものが変わるのですね🍛😊
今日はここまでです🌳
最後までお読み戴き
ありがとうございます😊
またねっ👋
チャオ❣️🤠
➖豊かさとは団欒で食べるカレーライスだよ➖
祭統 白宇
SHIR㊉W