星々の大金河
昨日の朝。
出勤中の電車の中で12星座について勉強していました。
12星座は人の一生を表しているのだ、
と確認しておりました。
最初の牡羊座から最後の魚座まで辿り終えた時、
中學生時代に合唱コンクールで歌った
『筑後川』を聴きたくなりました。
12星座を一通り辿ることで
一生を終えた心持ちになって
『フィナーレを・・・』
から始まる歌詞が心にこだましたのですね。
僕の人生では
たまにこの曲を思い出す時が在りましたが、
いつも『フィナーレ』と検索をかけて
目当ての曲を聴けず諦めて終わっていたのです😇
曲の題名も憶えておらず
今の時代では違った検索のかけ方をすれば
すぐに聴きたい曲を見つけられたのでしょうが、
面倒に思ってそのままでした。
この時も
今まで通り『フィナーレ』と検索をかけて見つけられず。
ふと『フィナーレ 合唱』と検索し直しましたら、
・混声合唱組曲『筑後川』の情報
と
・YouTube動画が出てきました。
僕が知っていた曲は
混声合唱組曲『筑後川』の中の
5,河口
だったのだとはじめて知りました。
YouTube動画も出ておりましたから
目当てだった
5,河口
を聴いてから
1,みなかみ
2,ダムにて
3,銀の魚
4,川の祭
5,河口
の全てを順を追って聴いていきました。
僕はこの時、
12星座を追うことで人生を一通り追った感覺でしたから、なおのことこの組曲は心の琴線に響くものがありました。
一つ一つ歌詞付きのYouTube動画を添付いたします。
実は一つ一つに僕の所感を書いたのですが
お聴きになった方がそれぞれに感じることが大切だと僕は思いましたので全て削除いたしました。
是非、御自身でお聴きになって下さればと思います✨
1,みなかみ
2,ダムにて
3,銀の魚
4,川の祭
5,河口
細かな僕の所感は書きませんが
全体を通して僕が想起したものを少しだけ🤏
川を隔てて両岸に人と人が。
人と人は
それぞれに思い合っています。
僕というのは
川が人と人との思いを分つもの
と思い込んでおりました。
片岸の人は
太陽のように眩しく向こう岸の人を思いやり、
片岸の人は
闇夜のように底無しに向こう岸の人を思いやっている。
川が。
川の流れが。
川のうねりが思いを分つのだと
僕はそのように思っておりました。
川の水一滴に星を見ました。
小さな星の一欠片一欠片が集まり
天の川のように
川は流れているのだと。
片岸の太陽が
目の前を流れゆく川を隔てと思わずに
川に一歩踏み入れたなら。
片岸の闇夜が
目の前を流れゆく川を隔てと思わずに
川に一歩踏み入れたなら。
星は益々輝いて
川そのものが歓喜と共に光を帯びる。
天の川を目の前に見つめ合う
織姫と彦星とは
あらゆる人と人のこと。
天の川という二人の障害は
愛の本流を隔てと思い込む【恐れ】です。
愛を恐れる時、
そこに隔ての幻想は姿を見せる。
本当は天の川。
目の前の壁も障害も
その眞の姿は
愛という大河。
愛を恐れるものこそ
人間のマインドです。
この人間特有のマインド(幻想)こそが
あらゆる隔ても別れも
壁も障害も争いも現実にしているのです。
隔ては隔てにあらず
隔てに見えるものは全て愛。
見えないという隔てすら
それも愛。
気付かなくてもここに愛は在ります。
星は太陽がなければ光れないのです⭐️
星は暗闇がなければ輝けないのです🌟
天の川という愛の星々たちは
太陽と暗闇を同時に等しく欲しています。
太陽と暗闇なくして
星は“ただの石(意思)“でしかないのですから😊
天御中主という愛の本流は
片翼の高御産巣日
と
片翼の神産巣日
という両翼を同時に等しく在ればこそ
天御中主として
愛の本流をここに在れるのです。
成功も失敗も
つまりそれは愛そのもののこと。
陰も陽も
それは愛そのもののこと。
男も女も
それは愛そのもののこと。
愛そのものは
愛そのものを同時に等しく望んでいるのです。
そのようにこの曲全体を通して
僕は肌で心で感じました☺️
是非、御自身で組曲『筑後川』全体を聴いてみて戴けたらな、と思います💎✨
またねっ👋
チャオ❣️😊
祭統 白宇
SHIR㊉W