幸せになろう
人は皆、純粋に
➖幸せになりたい➖
だけなのだと僕は思うのです。
自分を鑑みると
どのような外の世界への表し方であっても
➖幸せになろう➖
という思いが必ず根底にはあって生きて來たと思っています。
ここに他者への嫉妬があっても
その嫉妬の根底には
➖自分もあんな風に幸せになりたい➖
という思いがあった。
その思いを表に出した時に
わがままやコントロールとか
非難として表れ、
迷惑を掛けてしまう過ちが起きます。
ちなみにこの時の僕とは
今振り返ると
インナーチャイルドの訴えとしての嫉妬だったと思っています。
【インナーチャイルドが魂の核である】
と仮定すると
インナーチャイルドの存在の否定や
インナーチャイルドの思いへの抑圧
或いは、
インナーチャイルドの存在そのものに氣付いていない
というものがあり、
それが現実を生きる大人の自分の傷としてある状態の時に、
外の世界でのうまくいかない現実が起きる
と僕は考えています。
インナーチャイルドとしての自分も
やはり➖幸せになりたい➖訳ですから、
インナーチャイルド自身が
➖幸せになろう➖と思い、
その存在や思いのアピールとして
ネガティヴ感情やネガティヴな現象を生じさせます。
現実の大人の自分よりも
先ず、インナーチャイルドを幸せにするように促すのです。
これは現実世界に生きる誰しもに当てはまるのではないか、と僕は感じています。
たとえば、両親も同じことで
両親もまた➖幸せになりたい➖という
純粋な思いを持った人間です。
そして、やはり両親もインナーチャイルドを抱えている。ここではインナーチャイルドとは魂と仮定していますから、生きている人間には必ずインナーチャイルドの存在とその思いはある訳です。
ただ、その思いの状態や表への出し方で
たとえば
自分の子供への接し方として
過ちのようなものがあるのかな、と思います。
うまくいかない現実という
《幸せとは程遠い現実》を創り出すことを思う時、
インナーチャイルドのアピールとして
それらは創られている訳です。
➖幸せになりたい➖
という思いは万人に共通な思い。
根底にはその思いが強くある。
このことを信じる時、
ジャッジという行為が無価値なものになるように僕は思います。
表面的に
・あの人は悪い
・あの出來事は良くない
のようなジャッジをしても、
それを深掘っていくと、
僕の場合、
インナーチャイルドとしての魂の
➖幸せになりたい➖
という切なる思いに行き着いたのですね。
僕としては
この思い(➖幸せになりたい➖)を否定することはできない。
そして確かに
まるで人に迷惑を掛けるかのように
うまくいかない現実は創り出されますから、
迷惑を掛けられる他者が存在します。
これは
自分がインナーチャイルドをかまっていない為、
『では、違う他者にかまってもらおう』
というインナーチャイルドの思いであると僕は見ています。
たとえば
・恋愛(結婚)相手
・多くの聴衆
・職場の人たち
などなどへ
インナーチャイルドはその存在と思いをアピールする。
そのアピールにより
うまくいかなくなる為に
喧嘩や破局とかバッシングを受ける
という現象は起きていると僕は思います。
このインナーチャイルドのアピールとしての現実創造は、現実を生きる自分が一番苦しむ訳です。
周りに迷惑を掛けてしまうのは自分ですから、やはり自分が一番苦しむ。
そしてその時、
『迷惑ばかり掛け続ける自分なんか生きている価値が無い』
と自分の存在自体を否定的に思う時とは、
インナーチャイルドの存在に氣付いていない
や
インナーチャイルドの存在の否定
そして
インナーチャイルドの思いの否定や抑圧
をしている時で、
その内面が現実の現象を通して
自分に投げかけているのですね。
それにより
インナーチャイルドのアピール(訴え)としている訳です。
つまり
自分でインナーチャイルドの育児ができるようになるまで、ネガティヴな現実は起き続けるのです
たとえ
インナーチャイルドの存在に氣付いても
現実の育児のように
ちょっと目を離していたら・・・
トラブルは起きます。
しかしこれも
インナーチャイルドという魂の
➖幸せになりたい➖
という思いに変わりはありません。
このことを思えば
たとえ他者から迷惑を掛けられたとしても
赦すという見守る姿勢
を取るようになります。
【幸せになろう】
という思い。
これが【聖長の正体】です。
そして
【聖長には段階がある】
というのは
➖幸せになることにも段階がある➖
ということです。
より聖長した魂(インナーチャイルド)が
周りの人の幸せを思うという時、
ここに自己犠牲や被害者意識が無いのは、
究極的には
誰も彼もが幸せであれば、結局は自分も幸せであるから、だと僕は思います。
人に限らず、國全体の幸せや環境問題を含む地球全体の幸せとか宇宙全体の幸せを思うことも同じ原理です。
このような万人や森羅万象の幸せを願う在り方にも
必ず
➖“自分が“幸せになろう➖
という思いが根底にあり、
自分が幸せでない状態で周囲が幸せそうであるならば、やはり“自分発信で“うまくいかない現象は起きます。
【聖長】とは➖魂の成長➖のことです。
そして魂とはインナー(内なる)チャイルド(子供)です。
子供ですから成長の過程にいる訳です。
➖幸せになろう➖
とする魂の成長の過程で、トラブルや失敗という過ちも起きます。
ここに他者が目くじらを立て過ぎても、効果はありません。
どうしたって本人が
魂(内なる子供)の存在と
その思いに氣が付くしかない。
それは本人の魂が創り出したトラブルや失敗ですから、本人の為にそれらはある為、本人が氣付くしかないのです。
万人がこのような過程を辿って生きているのが人生である
と僕は思います。
言い換えれば
人生とは➖子育て➖
自分の子宝を大切に育てる
他者の子宝も大切に育む
子宝の➖幸せになろう➖とする挑戦に目くじらを立て過ぎない(自分も他者も)
常に子宝に目を掛かて思いを聞く(自己対話)
➖幸せになろう➖とする努力とは
僕に関しては
【育ち盛りの➖子宝➖としっかり向き合う】
というものになります。
今日はここまでです👋
お読み下さり、
ありがとうございました😊
またね🍀
➖幾つになっても人は最期まで子供です。
ですから死ぬその瞬間まで成長の可能性は在る➖
祭統 白宇
SHIR㊉W
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