一生分かり合えない人がいる
「ウチのモラハラ旦那&義母、どーにかしてください! 闘う嫁のサバイバル術」を読みました。
私は結婚してないのに、数年前から夫婦間のモラハラ問題について大変興味があり、こういった書籍をよく読みます。
昔は「モラハラ」なんて言葉がなかったから、本当にこういう妻を馬鹿にしたり、人格を否定したり、生活の様々なところに口だけ出してくる、みたいな夫は多かったのではないでしょうか。
それに理不尽なものを感じながらもなかなか言語化できないままモヤモヤしていた時間が随分長かったように感じます。
「モラハラ」という言葉が登場し、語りだす人も増え、ようやく女たちが表現することが叶ってきたのは本当に良かったと思います。
「男尊女卑」で育った男性は「女子供は自分より下」みたいな考え方が潜在意識の奥深くから根付いており、呼吸をするように差別的な言動や行動を繰り返す・・・というような事例が多く見受けられます。
正直、私は両親や身近な夫婦を見ていて、特に妻の方が「幸せそう」と感じることがあまりなかったので、なぜ「結婚」に「憧れ」「女の幸せ」みたいなイメージがあるのかさっぱり分かりませんでした。
「早く結婚したい」などと言う人はよほど恵まれた家庭で育ったのだろうな、と羨ましくもありました。
この本で印象的だったのは「愚痴はダメ。我慢こそ美徳」と刷り込まれてきたことに気づき、ツイッターで「愚痴ってもいいんだ!」と夫や義母のことを呟き始めるところです。
今でも「我慢こそ美徳」と思っている人は多いと思います。
私も過去の辛かったことなどを友達に愚痴った後、「愚痴を言う自分」を恥じたり、こんなことよりもっと前向きなことを考えよう!なんて思ったりします。
ツイッターなんてなかった頃は傲慢な夫にひたすら「我慢」だけして、その不満を口にすることなく死んでいった女性がどれほどいるかと思うと胸が痛くなります。
また、傷つくような言動をされたとき「自分の方が悪いのではないか」「仲良くできない自分に非があるのでは」と考えてしまいがちな人も多いです。
世の中には心が傷ついた時に「自分を責める人」と「他人を責める人」がいます。
繊細で心優しい人ほどどんな理不尽な目に遭っても自分を責めがちです。
「サイコパス義母撃退心得」の中に「世の中には一生分かり合えない人間がいると肝に銘じるべし」とあります。
まずは傷ついた自分を癒し、どうやって自分を守るか考えることが大切だ、とあらためて思いました。
自分を守ることができてこそ、子供たちやそれこそ本当に「自分の大切な人」を守ることができるからです。
それにしてもこんなに理不尽な目に遭っているのだから早く離婚できないのでしょうか。
一度、「家族」になってしまうとこれほどまでに離れることは難しくなるものなのでしょうか。
「個人」は精神が病むまでないがしろにされても、人は「家族」という形態を維持しようとするのかと思うとなんだか恐ろしくなります。
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