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「正欲」圧倒的に理解できない他人

「正欲」を読みました。

この本ではいわゆるマイノリティな欲望、水の噴水する様などに性的欲求をかきたてられるといった人々の様子が、様々な視点から描かれます。

利用されるユーチューバーの少年たちとその親、そういった欲望を持つ男性を好きになってしまった人など。

そうか、「水」が欲望の対象になったりもするのか、と思いつつ彼らの持つ絶望的な孤独の描写に打ちのめされます。

自分のような人間がどうして生まれてきてしまったんだ、というような根源的な絶望。絶対に誰にも分かってもらえないという氷のような疎外感。普通に「異性」の体に欲求を持つ人々の中で話を合わせなければならない、またそのような社会で生きなければならない孤独。

分かったように語られる「多様性」という言葉の持つ薄っぺらさと無意味さがよく伝わりました。

この本の登場人物で一番共感した、というか「私やん」と思ったのが大学生の八重子。太めの体に男性に選ばれにくい容姿で、極めて繊細な感受性の持ち主。

引きこもりの兄の性欲に気持ち悪さを感じるがゆえに、男性のことがまともに見られない。

そんな彼女が唯一拒否反応を示さない男性がダンス部の諸橋。

「諸橋はもしかして、女性に興味がないのではないか」と聞いたところから、彼の孤独を思いやり、彼が他の世界に繋がれるよう涙ぐましいくらいの努力をする八重子。

正直、「本当に鬱陶しい」と諸橋でなくても思いましたよ。こういう女は本当に粘着質なんだよ。

それにしても、こういうのを読むと「男性に好かれるためのアピール」とか「こういうのがモテる」とかつくづく無意味だと思う。

相手は「水」にしか興味が持てない人かもしれないのに。

ゼミ合宿に仮病を使って休み、同じ欲望を持つ仲間に会おうとしていた諸橋。そんな彼を待ち伏せていた八重子。

それでも「あんたとは全然違う世界を生きてるから、俺は」と突き放す諸橋に「もっと話し合えることがあるよ」と言える八重子は強いなあ、と思いました。

ここまで突き放されたら、普通何も言えなくなるんじゃなかろうか。

この時の対話で2人は多少なりとも理解し合えたのだろうか?何を得たのだろうか?とちょっとそこが分かりにくかったが。

諸橋がとある事情で逮捕された後、八重子はどうにか彼を止めていればと思うと同時に「あの時自分が彼を止めなかったから、彼があれからも生き延びられているのではないかと思う瞬間もある」

と書かれているところから、彼の心の一端でも理解し得た部分はあったのではないか、と思ったりします。

結局人は他の人のことを圧倒的に理解できないんだ、という「絶望感」と同時にそれでもどこかで繋がることができるんではないか、という「希望」もあったので、読後はそれほど悪くなかったです。





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