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おもうこと

 今日ももう5時になってしまう。

 毎晩毎晩、考えごとをしては疑問が生まれ、興味が湧いてはブルーライトを浴びてしまう。それを一晩で何度も何度も繰り返すと、あっという間に時間は過ぎる。時折疑問が尽き、液晶を見る動機がなくなってしまう。そんな時こそすぐ寝ればいいものを、この瞬間で社会の動向を調べずに何になるのかと謎の使命感にとらわれて、SNSのトレンドワードをチェックしに戻る。この病的とも言えるサイクルに、日々本能のままわが身と電気量を一任している訳だが、そんなループを断ち切れるのは、良くも悪くも私達に与えては容赦なく取り上げる、そこそこヤンデレな”時間”という存在のおかげである。

 私が探索の使命より寝る義務をとることに踏ん切りがつくのは、大体4時半以降の時間平面とお会いした時である。最近はよくこの方と再会する頻度が急増しているので、何とか生活リズムを矯正しなくてはいけない。さて、何から変えることを始めたら良いのか……。

 そんなことを考えながら、私は周囲の騒音から耳を塞いだ。私がいる場所のうるささは、他人には気にならないものだろう。普段の私は、スピーカー付きの耳を持っていると思う。

 いま私がいるのは、小さくも特別ではない、昔よくお世話になった建物である。当時は朝の集会や講演、年中行事の会場に使われたが、それはきっと、現在もそうだろう。その会場が、いまやライブ会場である。人が群れていて、中には見知った顔もある。数ヶ月まで級友だった人、数年前に見たことがある顔…。皆ゲストの登場を待っているようだ。私はその人ごみをかき分けて、センターより少し右の前列へ行った。今回のイベントの舞台は、観客より高い位置に設けられているわけではない。子どもの運動会の、会場とフリースペースの境目のようと言ったら想像がつくだろうか。私たちが立てば大体腰位の高さに張られたビニール紐で、オーディエンス側とステージを分けた作りだ。

 そんなに待った感覚はなかったが、いよいよゲストが登場した。ほう、彼らが今年の出演者か。私は彼らを知っている。私が長年心を寄せる、有名な二人組のアーティストである。彼らは登場すると、一曲歌を歌った。皆彼らのの歌声に聞き惚れていたのは印象的である。二曲目の音楽がかかった時、私はメンバーの一人と目が合った。彼は私に近づいてきて、幅は1㎝もしない、30㎝程の紺色のリボンの紐を私にさし出した。周りは誰もそれを奪おうとはしない。彼は言った。

「これを君にあげるよ。」

 私は何も返さずにそれを受け取った。

「君に持っていてほしいんだ。僕はこれを持ってるから」

  彼が自身のズボンのポケットから出して見せてくれたのは、私にくれたのと同じものだった。

「おそろいだよ」

 彼はそう言うと、にっこり笑った。優しい笑顔だった。

”だから、また会おう”

 優しい声がかかったあと、私の頭をなでてくれた。そしてまたニコっと笑みをくれると、自身の仕事へと戻っていった。

 さっき起きたこの少しの時間のことは、簡単には忘れられないだろう。時間の終わり方は一見寂しいと感じるかもしれないが、彼が私から離れた時、私自身も意識していなかった体の重みが消え、軽くなった。身の軽さだけでなく、感情もとても幸せな気持ちになった。

 遠くなる彼の背中を見ていたら、パッと現実の明るい朝に引き戻された。今のは夢だったのか。不思議なことに、目覚めた時を夢かと疑うほど、夢の中の世界に引き込まれていたようだ。夢の中の記憶も、ほぼ欠けずに戻ってきた。本当に不思議な体験をしたと思う。

 どんな機械を使っても拾えないであろうほどわずかな秒数触れた、彼の手の温かみ。私の頭をなでてくれたあの感触。今でもすぐに取り出せるところにしまってある。

 当然だが現実世界では、私と今回夢の中で会った方とは直接的なつながりはない。会話をしたことはないし、強いて言えば数回ライブに足を運んだ事があり、一度結構な近い距離で二度見をしてもらったことがあるくらいだ。

 だから結局、あの日私にリボンをくれた彼は一体誰だったのか、リボン紐は一体何なのか、未だに分からない。確かに考えてみれば、あの日会ったあの方は現在の容姿ではなかった。2016年、私が一番好きな姿の彼だった。だが、何度も言うがあの時間の視覚、聴覚、触覚は今でも鮮明に思い出せる。時間が過ぎたあとの私の心身の変化然り、この忘れるにも中々難しい不思議な体験は、今でもたまに新作として遭遇する夜がある。

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はぐみ/明月詩織
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