千代〜生まれかわりの魂〜第2話
ばばさまは、一人で里を離れて山の中に住んでおりました。
なぜ、そこに一人なのかは聞いたことがございませんでした。
年も幾つなのか、子はいるのか、いつからそこにいるのかさえ全く知りませんでした。
ただ、淡々と森の中で過ごす毎日でございました。
もう年でもございましたので、力仕事などは里の「若いし」と言われる若者が時々手伝いににきておりました。
初めは、ガタイの良い男の人が怖く、彼らの来ているときは物陰にそっと隠れておりましたが、徐々にさまざまな遊びを教えてもらえるようになり、彼らの来るのを心待ちにするようになりました。
元々体の神経が敏感であったのか、木に登ったり、走ったり、泳いだりが難なくできるようになりました。
ですので、だんだんと大きくなり里の子たちとも遊べるようになると、女の子と遊ぶよりも男の子と遊ぶ方が楽しいくらいでございました。
しかし、ほとんどを山の中で過ごしているために、里の子と遊ぶよりは、一人で山に入って木の実を集めたり、薬草を摘んだりすることの方が気が楽でございました。
ばばさまは物知りで、あらゆる草の名や、その食べ方、薬としての効能など、詳しく教えてくれたのでございます。
自分で薬草を試して、分量を間違えて逆に熱を出してしまったり、この世のものとは思えない味のものを作り出したりと、失敗も多ございましたが、色々と研究するのは性分に合っておりました。
大きくなるに連れ、その傾向は一層強くなり、いつも何かを発明して夢想に走り、うっかりすると日が暮れるまで森の中にいて、時を忘れることもありました。
そして、ばばさまが亡くなりました。
自分が自由にしていられたのも、ばばさまがいてくれたからこそだということを心の底から感じました。
突然森の中に一人ぼっちになってしまったことが、それまで真っ暗になるまで森の中で一人でも大丈夫だったのが嘘のように、寂しい気持ちでいっぱいになりました。
森から夜遅くに帰った時、泣きながら心配してくれたばばさま。
ばばさまのいない小さな小屋は、こんなに広かったのかと思うほどでございました。
暫くは何もする気が起きず、ぼうっとして過ごしました。
何もしなくとも日は過ぎるもので、少しずつ身の回りのことを始め、ばば様のものを片付けたり、家の片付けを始めました。
それは、ばばさまが亡くなり、四十九日も過ぎた頃、囲炉裏周りの掃除をしておりました。
ふと視線を感じて顔を上げると、土間に手伝いに来た権三(ごんざ)が立っていました。
権三は、小さい頃からよく知る兄貴分で、私より十ほども上でございましたので、最近、隣村から嫁取りをしたばかりでございました。
その日の権三の様子は少し違ってございました。
権三の目線を追って、ふと自分の姿に目をやると、四つん這いで囲炉裏の灰を始末していたので、巻き上げた着物の裾から内腿が顕になっていたのでございます。
慌てて裾を整えて、何事もなく権三に声をかけました。
「なんね、今日は薪を持ってきてくれたんかね」
そう言うか、言わないうちにすでに私は組み伏せられておりました。
いつもは男まさりに、力でも素早さでも、ちょっと小柄な権三に負けたことはございませんでした。
でも、それは権三が手加減してくれていたのだと言うことが、その時にはっきりわかったのでございます。
初めて「恐怖」という感覚を覚えました。
ばばさま。
心の中で叫びました。
しかし、ばばさまはこの世の人ではなくなっておりました。
恐怖と悲しさと、何が起きているのかわからない混乱とで、呆然としておりました。
権三はぼそっと口を開きました。
「ばあさんが、おちよ坊はおぶけさんの子だから、大切にしなきゃなんねえっていうから」
それは、言い訳なのか、文句なのかよく分かりませんでしたが、呆然とする私を抱きしめて
「悪いようにはしね。絶対に悪いようにはしね」
そう繰り返し、何度も謝りました。
それからでございます。
権三は、度々小屋を訪ねてくるようになりました。
私はどうして良いのかもわからず、誰にも相談もできず、身を任せるしかございませんでした。
そして、ある時激しい吐き気をもよおし、縁の端から思わず吐いてしまった時、権三の顔色が変わりました。
そして、真顔になると、言ったのでございます。
「この村を出よう」
私はこの土地が好きでした。
ばばさまの思い出のたくさんあるこの小屋や、ととさまと、かかさまのお墓がある丘の上や、研究に勤しんだ森、誰もいない滝壺で素っ裸で泳いだり、ほんの十年ちょっとの時間でしたが、私の全てでございました。
離れる時が来たのでございます。
一旦肝を据えると、さまざまなことが澱みなく進めることができたのが、とても不思議でございました。
ととさまからいただいた砂金とかかさまの懐刀。
そして、あの変わった小さなものは、あれから肌身離さず首から下げるようにしてございます。
それらをしっかり人目につかないように包み、サラシを巻いた胸の間に入れました。
身の回りのものと言っても何もございません。
旅などは、したことは全くございませんが、村を通り過ぎる旅の人々は目にしておりますので、それなりの格好も様になったと思いました。
そして、権三が小屋に来る前に旅立ったのでございます。
権三の嫁さまは来月は生まれるだろう、身重の体でございました。
ととさまを奪うわけにはいかないのでございます。
その時、十六ほどの歳であった私は、それからの過酷な運命を予感しておりました。
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