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「死にたいけどトッポッキは食べたい」感想文&旭川のB級グルメ.

「死にたいけどトッポッキは食べたい」感想文

出版社勤務,20代女性,気分変調症と不安障害の治療過程で,カウンセリングを録音記録したものを書き起こし,対談のような形式でまとめた本。
各章は長くなく,率直で読みやすい。「先生」パートの治療者はよくこの本の作成と出版を許容したなあ。と思っていたら,p.158に「ドクターからの言葉 不完全が不完全に」という章があり,「先生」がこの本の出版過程では目を通さず(他人にどう見られるか心配になり,なかなか見てみる気持ちになれなかったとのこと),出版されてから読んだということが分かった。

ということは,重版されてから追加された章なんだろうか。
不完全という言葉であらわされる,治療者としてありたい自分とその限界,さらにその限界がある不完全な存在だからこそ果たし得る役割があるのかもしれないと考えるきっかけになるような一文があったので,記録しておく。

人は誰でもみんな不完全な一人の人間であり,その人が同じく不完全な一人の人間である治療者と出会い,交わした対話の記録です。治療者として失敗や後悔は残りますが,人生はいつもそういうものだったのですから,著者と私,そして皆さんの人生だって,今よりもよくなる可能性があるのではないかと,自分を慰めています。

死にたいけどトッポッキは食べたい「ドクターからの言葉 不完全が不完全に」p.159〜抜き書き
図書館で借りました

治療者と治療される側。一応そういう体で、私たちは出会う。
でもそのどちらかとして私たちは生まれたり、存在したりするわけではなく、いつでも本来はそのどちらでもありうる
不完全であることを自覚する治療者は,現在治療者の立場をとってその場にいるけれども、自分もどちらの立場に立つこともありうるということを知っているということだ。
「治療者」の立場に立っているときも葛藤しながら、ただその場でできる最大限の善いことをしようと努力しているだけなんだ。
けど,その完全ではありえない者が、不具合を抱える者に向かい合って治療者という立場をそのひととき引き受け、味方であろうとし続ける、そのくりかえしにこそ,価値がある。

夏季休暇について

8月末にリフレッシュ休暇をとる。昨年度は特別休暇,リフレッシュ休暇,ほぼすべての有休をすべて治療にあてた。
これはどういうことかというと,私は去年,まともに休んでなかったということだ。仕事か治療しかしてないんじゃないだろうか。

体感としてはけっこう遊んでた気もするんだけど,だとすれば,今年からは有休を有休として使えるんだから,もっと遊べるっていうことじゃない?
(だとしたら朗報ですね、ちなみに今年のリフレッシュ休暇は家族に会いに海外に行くので、ちゃんと休暇っぽい使い方ができる予定です。昨年の今頃は、抗がん剤治療でみんなに迷惑をかける前に・・・と仕事しまくっていました。我ながら健気というか身を削るタイプというか。)

昨年度の私には,とにかくよく頑張ったね,と言ってあげたい

旭川で食べたもの

また話は変わる。先日旭川に出張で行った。

帰りに同僚がくれた。存在感のある東欧的なデザインのうまいガリガリした焼き菓子だった
ご当地のB級グルメ。チンして5分置いてから食べます,中身は米と海老フライです。
旭川に行けばラーメンも食べます。同僚が連れてってくれた「すがわら」
美味しかったですが,食べるのが遅いからか,途中でおなかいっぱいになりました
私の好きなタコです
今回,出張に持って行ったので撮りました
先輩が去年からオススメしてくれていた焼き鳥や
めちゃくちゃ美味しい店だった(また行きたい)

そして今日の課題

今日は休みなんだけど,洗濯干してから大学行く。
眠いからでかけられないとおもっていたが,実は家にいると眠くなるということなのではないか?と思いはじめたので(家は暑いから?),とにかく脱出することができれば成功なんじゃないかと思えてきてる。
言えば少し散らかっていて片付けたくなったり,あれこれ用事をすませたくなったりするが,タイムトライアルみたいに急いでやれるだけやって,10:00までには家を出ようと思う。

うまくいったかどうかまた報告します!

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