相部屋のこと、誰かの支えになること
手術と抗がん剤の入院、ふたつあわせると今回で5回目の入院だった。
いつも1泊5500円くらいの個室をお願いしてたんだけど、今回は相部屋に入ってみることにした。
相部屋に入ってみる理由の一つ、抗がん剤で入院するようになってから、個室の風景を思い出すだけで吐き気がするようになったこと。
もうひとつは、不調のときは何かを変えるといいような気がしたこと。
4人部屋に入って挨拶をして、荷物を片付けて、しばらくすると1人は退院していった。
部屋に3人いました。1人、入りました。1人、出ていきました。今部屋には何人いるでしょう。
=3人です。
というわけで、私は3人の部屋で今回の2泊3日をすごした。
最初、カーテンをどのくらい開けておけばいいかなとか、どのくらい話した方がいいかなとか気になった。
私以外のお二人は仲がいいみたいで、よく話をされていた。
大部屋には洗面所が一つしかないので、手を洗いに立ったついでに少し話してみた。
話してみると、Aさんは子宮体癌、Bさんは子宮頸がんで、再発と再再発だということだった。
どちらも穏やかで適度な距離感、かつフレンドリーに話してくれる人だったので助かった。
私はまだ初期の乳がんだということ、抗がん剤治療のために定期的に入院していること、相部屋は今日が初めてだということを話した。
入院中の食事について、吐き気がしてあまり食べられないことを話すと、食事はストップして自分の食べられそうなものだけ食べるといいよと教えてくれた。
抗がん剤の日にはカーテンを閉めっぱなしにしていた。投与後、気分が悪くて眠っており、夕飯にはレモンスカッシュみたいな味の炭酸飲料だけ飲んだ。
20時をまわって、となりの病室からBさんがすこしだけカーテンをあけて声をかけてくれた。「コーヒーゼリー食べる?」って。
「なにも食べてないみたいだったから」って。
私は、
いまは食べられないけど、明日の朝たべるもの、なにか買いにいかなきゃと思ってたから、ありがたいです
と答えた。
「たくさんもらって、食べきれないから、私も食べてもらえると助かるのよ」「いま、わたしとくね」
といって、Bさんは、コーヒーゼリーとカスタードプリンをまとめてビニール袋にいれたものをくれた。
私は、
ありがとうございます、助かります、ほんとに
と言って、もらったものを冷蔵庫に入れた。
翌朝、まだ体調はすぐれなかったけど
薬ものまなきゃいけないし、なにか食べないと。
と思って、もらったコーヒーゼリーを食べた。
ゆっくり、ゆっくり食べて、薬を飲んだ。
私は今日で帰るので、またAさんBさんに会えるかどうかは分からないなと思った。
食後、歯磨きをしながら
がんになった経験と、自分の心理職という職業を、これから先の人生に役立てることはできないかなと考えている、何も思い浮かんではいないけど、AさんBさんと少しだけ話した中で、彼女たちがどんな風に、初期のがん、再発、再再発を、またその間のコミュニケーションや治療のつらさと折り合ってきたのか、話をきいてみたくなった。
部屋に帰って、今回相部屋でいろいろ教えてもらって、また、一緒にいてもらってありがたかったという話と、自分が心理職で、心のケアのことが気になるので、AさんやBさんはどんな風に折り合いをつけてこられたか、というようなことも、いつかインタビューしてみたい気持ちになった。
もしよかったら、また連絡させてもらって、お話伺えたらうれしいですと伝えた。
そしたら、いつでも話をするよと快諾してくれて、連絡先をいただけた。
これから、私のとりくむ臨床や研究がどんな風に変わってくるかは分からない。
けど相部屋の経験で、また患者として見える景色が少し広がったように思う。
AさんとBさんは、はす向かいのベッドなんだけど、絶えずぼそぼそと話をしていた。この話をするということが、おふたりにとっての気持ちの支えになっているようにも思えた。
そして、私は抗がん剤を受けて吐き気と眠気で横になっている間、この「ぼそぼそ」に救われているようなところがあった。
ポリヴェーガル理論でいう、背側迷走神経が優位になり「シャットダウン」の状態になった人が、強すぎる社会的絆には入っていけないけど、ゆるやかな社会的絆をそばで感じることでなんとかつながっていけるという感覚と似ていると思った。
これからあと4回ある抗がん剤治療は、相部屋を選択しようと決めた。
私はいろんな人に支えてもらってばかりだけど、
私も誰かの支えになることができればなと思った。