「自分との向き合い方」を考えてみる。
1.適応障害というものになりました。
診療室で、椅子を揺らしながら医者は気難しげな顔で私の書いた紙を眺めていた。それから、静かに泣き続ける私の方に向き直ると言った。
「随分と長いこと放っておいたね」
私はただ頷くしかできなかった。
休職するのに診断書がいるから、病院に行く前に心身の変化を書き出しておいた。書き出して一番驚いたのは「自分が不調であることを許せなかった」ということ。1年前から胃腸はぼろぼろで身体は悲鳴をあげ、休もうとしない私にサインを送り続けていたことには気がついていた。
「でもさ、仕事ってムリがつきものでしょう?」
私は新卒で入ったわけでもない。裁量労働制で四六時中、自分が担当する仕事のことを考えて手離れするまで仕事(+顧客)に付き合わなきゃいけない。同じ部署の人たちは基本的に徹夜残業が多く、顔色を悪くして励まし合う。上司には「若い奴は労働時間くらいしかベテランには勝てねえだろう」と肩を叩かれる。女性の先輩には「私、2徹目ですけど」と自慢(?)される。上司のマウンティングは人間性が悪いから。仕事とは別だ。
「だってさ、それが責任なんでしょう?」
その代償にプライベートでは責任は負いきれなくてよく潰れていた。平日は彼が寝ているうちに出かけ、彼が寝た後に帰宅。料理なんて日曜日に作れるかどうか。洗濯物も彼頼み。土日に出かけたいという彼には申し訳ないけれど、ベッドから抜け出せるのは太陽がだいぶ高くなってから。週末の1日は部屋に閉じこもって横になっていたい。彼はフリーランスのような働き方だから、私の働き方や日々の過ごし方に不満を抱いていた。ピリピリとした空気で私を傷つけることもあった。
「だって仕方ないでしょ? そうじゃなきゃ一緒に暮らしていけない」
一緒に暮らしていると言える生活だったかは別にして、お金がなければ生活は送れない。私には仕事がある。朝も夜も時間がない。あなたには時間がある。優しくしてくれてもいいじゃない? そうやってよく泣いた。
家族のこともそうだ。父のこと。母のこと。兄のこと。優しい人に見えて長いこと母を裏切り続けてきた父。躁うつ気味で躾に手をあげ、癇癪をよく起こした母。優しく双子のように仲が良かったけれど性的結びつきを求めた兄。私は昔からよく泣く子どもだった。それでも家族のことが大好きで、一緒にいたら楽しくて幸せで、でも時にはひどく辛く胸が引き裂かれそうになって泣いた。
「でも、家族ってそういうものでしょう?」
どこの家族もなにがしか問題を抱えている。それでも、血肉を分け合った者同士、縁を切ることなどできない家族なのだから。育ててもらった恩があるのだから云々。
2.本当に心って突然ポキリと折れるんです。
ストレスのない人間なんていないでしょう?
人間って弱いものでしょう?
どんなに辛く苦しい出来事があっても、当たり前のように明日はやってくるでしょう?
だから、強く生きなきゃいけない。
そうでなければ、全ては強くないことへの「言い訳」になってしまうから。
そうやって生きていくうちに、体の中で塵が重なっていくのかもしれない。
その重みを「自分の強さ」だと信じて、明日も頑張れると言い聞かせて生きてる。
そのはずだったのに、ある日のある朝、突然に心がポキリと音を立てて折れた。
「もう、たくさんだ!」
家族の無神経な連絡。
彼との喧嘩。
週末の止まらないパワハラメール。
ベッドの中で携帯を握りしめながら、わんわん声をあげて泣いた。あまりにひどく泣くので呼吸もままならなくなった。過呼吸は何度目かのことだから、彼は遠目に腕を組んで「異常だよ」と心配そうに呟いた。それを遠くに聞きながら、確かにこれは異常だと思った。
それから熱で寝込み、胃腸を壊し、悪夢を見ながら眠った。
熱が下がり、体の中の空洞を感じながら、ようやく気がついた。
「私は、抜け出さなくちゃいけない。振り切ってしまうほど、全力で、コレから逃げなくちゃいけないんだ」
泣きながら頭を下げて診療室の扉を閉じた。
私が泣き続けているので、待合室のソファに座ったおじさんは面白そうに私を眺めていた。名前を呼ばれて会計をすると看護士さんは優しく接してくれた。薬局でも静かに泣いていると薬剤師さんがティッシュをくれた。「薬が増えても症状が悪化するというわけじゃないのよ」と優しく笑ってくれた。
その時の私は、優しくされることに惨めさを覚えて、ますます涙が止まらなかった。
3.薬に頼ってよいものでしょうか?
休職してから身体の症状はどんどん良くなっていった。
処方された薬を飲むと眠くなるけれど、とても気持ちが落ち着いた。彼や家族にもネガティブな感情を抱かなくなり、これまでどうしてあんなことで怒ったのだろう、悲しんだのだろう?と不思議に思うほどに。
でも、まるで自分を失っていくようで最初の1週間は恐ろしかった。
思考力が落ちて人間らしさを失っていく。おとなしい人形のようにつまらないものに変わっていく。そう思うと、波のように体調も良くなったり悪くなったりした。
朝に決まった時間に起きる。
コーヒーを淹れ、リンゴを切ってフルグラを用意する。
温めているうちにストレッチとスクワットをする。
クラシックをかけながら、ソファで彼の隣で朝食をとる。
ニュースを見ながらあれこれ話す。
昼や夜は、メニューやアレンジを考えて食事をつくる。
ベジタリアンになりたいという彼に振り回されて大変だが、最近では慣れてきた。
ひとりの時間ができたから、勉強を再開した。
気づいた方が先に食器を洗ったり、一緒に洗濯や掃除をする。
元気な日は、友人や彼と映画を観に行く。
観終わった後に映画の良かったところを話して盛り上がる。
家族と電話をしたり、実家に帰って一緒に食事をする。
正しい形かは別にして、両親はとても私を愛していると実感する。
同時に私も彼らを愛しているのだと思う。
だからこそ、彼らが間違った言動をした時には「NO」と強い姿勢を見せるようになった。声を荒げず、涙を流さず、冷静に論理的に、なぜ自分が受け入れないのかを伝える。ヒステリーには付き合わずに無視し、落ち着くのを待つ。
そうして過ごしていくうちに、私が願った「強さ」こそ「弱さ」だったのだろうと思うようになった。
コミュニケーションの上で「私さえタフなら問題ない」という考えは「強さ」でもなんでもない。独りよがりのものだからコミュニケーションなんて成立していないのだ。だから何も築けないし、選ぶことができないのだ。
私は未だに薬を飲むことに少しの恐れを抱いている。
依存しないか。以前は気にしていたことすら気にすることができなくなるのか云々。
だから、まだ薬に頼ってよいものなのか、その答えはわからない。
4.自分と向き合えるようになった…んですかね?
でも、少なくとも言えるのは、穏やかさを得たことで、私は周囲を見ることができるようになった。彼を通して私を測ろうとはしなくなった。家族の態度に応じて私を蔑むことをやめた。友人や周囲の優しさに感謝の気持ちを抱けるようになった。
「自分と向き合う」とはどういうことなんだろう。
自分を見つけてから、あらためてそのことを考える。
静かな音楽を聴きながら毛布にくるまってお茶を啜りながら物思いに耽ること。
本を読み、ふと活字の向こうに私を見ること。
私に向けられた他者の瞳の柔らかさを生み出しているのが、私への信頼だと確信できていること。
適応障害だと診断され、知ったのは「自分と向き合う」ということは「あなた」がいないとできないということだ。だから「強くなりたい」という幼い頃からの願いは捨てることにした。私は私の信じる道を選んでいく。そのために、選ぶべき「あなた」や「それ」や「あれ」を知っていこう。
だから今はまだ、もう少し自分と向き合おうと思う。
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