【小説】『さみしがりやの星たちに』第3話
終業式がある日までは、あたしも沙耶もぼうっとする時間が取れないほど忙しく動き回っていた。当日、鍵を開けておくのはどの窓がいいか、望遠鏡はどうやって持っていくか、どうせなら、何か飲み物やお菓子も持っていった方がいいか、などなど。天体観測のときをイメージして、思いつく限りのことを準備していった。テストも終わっていたし、夏休みに向けての数日間がこんなに楽しいなんて、去年じゃありえなかった。去年はひたすら、早く夏休みになってほしくてこのたった数日間さえもまどろっこしかった記憶がある。
そんなことをして日々を過ごし、いよいよ終業式前日になったある日、あたしは突然沙耶から信じられない言葉を耳にした。
「あ、ねえ、深月!」
五限の体育が終わって外の水飲み場で手を洗っていると、後ろから沙耶に声をかけられた。沙耶も洗いたいのかな、と思って右にずれたが違うらしい。沙耶はあたしの一歩後ろにいたまま動こうとしなかった。
「何? どうした?」
手洗いが終わってから振り向くと、沙耶は俯いていた。沙耶の黒くてポニーテールされた髪が力なくうなだれている。
「沙耶?」
「あの、実はね…………天体観測、無理になった」
「…………え?」
一瞬、何が無理になったのかがわからなかった。このときあたしはものすごく間抜けな顔をしていたと思う。みんな教室に戻ってしまい、あたしと沙耶だけがグラウンドに取り残されて、蒸し暑い風を受けていた。
「……無理になったって? どういうこと?」
頭の中が混乱して、感情がすっぽり抜けていた。ただ、どうして、なんで、という言葉だけが頭の中でこだまする。沙耶はあたしの顔を見ようとせず、ずっと俯いたままだ。
「塾の夏期講習が、明日から始まるの。それで、どうしても行かなくちゃいけなくて……」
夏期講習? 夏期講習とあたしとの約束を天秤にかけた結果、夏期講習を沙耶は選んだの? あたしとの約束の方が先なのに?
もし、あたしだったら。あたしだったら、そんなこと絶対しない。たとえ親に言われていたとしても、塾に行くふりをしてこっそり学校に向うに違いない。
沙耶にとって、あたしとの約束はそんな軽かったの? 二人で最高に楽しいことしたくないの?
じっと黙っていると、沙耶がゆっくりとあたしの顔を見た。その瞬間、沙耶に塾なんか放っておきなよ、と言おうとしていた言葉が心の中でぱちんと弾けて消えた。
ずるい……そんな顔されたら、何も言えないじゃん……。
沙耶の泣きそうな顔から視線を外して運動靴のつま先を見つめた。汚れた運動靴の靴紐が風でわたしの足首にまとわりついている。
「……わかった。気にしなくていいよ。用事があるなら仕方ないもんね。あたし、一人で明日は行くから」
あ、やば……最後の言葉、嫌味ったらしくなっちゃったかも。
背中をひやりと冷たいものが流れる。沙耶の顔を見ると、沙耶は不器用に微笑んでいた。ひきつっていたって言った方があっていたかもしれない。
「うん……本当に、ごめん」
沙耶はあたしを置いて校舎の中へと入っていった。置いてきぼりにされて、一人になったあたしはいつまでもグラウンドに立って暑い風に吹かれていた。砂埃が舞っているグラウンドを見つめ、その真上にある大きすぎる太陽を見上げて、何だか今の一部始終をじっと目撃されていたように思えて、どうしようもない気持ちになる。
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