ズタボロになって、幸せをつかんだら中年になっていた
上京後にライターという仕事にありつき、なんとか頑張り続けることができた私。私生活はどうだっただろう。
ゲイ。ニキビ肌。借金まみれ。堅気の仕事ではなく安定していない。キャリア設計という言葉とは無縁の職歴。上京した後、けっこう長い期間、これらのことを自分のダメな部分だと感じていた。自己申告しないと他の人には伝わらないけど、確実に自分自身は心地よくない。履き倒した靴下の穴が、皮膚をヒリヒリと刺激するみたいな嫌な感じを数年間感じながら生活していた。
自分は、出世レースからコースアウトしてしまった。出遅れてしまった。そんな感覚をずっと持っていた。
それでも仕事の場合は、与えられた業務をこなせばいい。明確なミッションがあって、それをクリアすれば存在意義が認められる。でも、私生活の場合はミッションが曖昧だ。クリアすべき課題なんてないから、いつも相手とのアドリブのやりとりになってしまう。正解もないので、いつも「これが正しいのか?」と相手の顔を伺いつつ行動するような感じ。
上京して何年か遊んでくれた人がいた。
その人はどちらかというと陽キャのゲイで、毎週のようにパーティーを開いていた。私は地元の知人の紹介で、その人のグループに入ることができた。当時は遊びに誘われるのが嬉しかったけど、今思うと結構無理をして参加していたと思う。心から楽しめないけど、誘ってくれるのが嬉しいから参加する、みたいな感じだ。
ある日、陽キャのゲイに突然呼び出された。パーティーじゃないのに声をかけてくれることが嬉しかった。私は自宅から片道1時間半の彼の家まで出向いた。そこで彼からセックスを迫られ、私も応えた。こんな自分を求めてくれることが嬉しかった。でも、彼は「こんなことになったのは、2人だけの秘密にしてほしい。なんか期待させたならごめん」みたいなことを言っていた。要は性欲のはけ口として使われたということだった。
当時の私は、こういう関係性になんの疑問も抱いていなかったと思う。自分を大事にしていなかった。とにかく、自分に期待している相手に応えたかった。
だから、恋愛においても、少しでも可能性がありそうならアタックしていた。いつも酒の力を借りていたと記憶している。
新宿二丁目には「捨てるホモあれば、拾うホモあり」という言葉がある。どんなタイプのゲイでも、誰かに求められるものだというような意味。上京してしばらくの私は、自分が追い求めるのではなく、拾われるホモというポジションで恋愛していた。
簡単に拾われるホモは、簡単に捨てられる。出逢ったときには「この人と一生を共にするんだ!」とドラマの主人公になったような気でいても、しばらく経つとそれは自分だけの独りよがりだと気づく。その繰り返しを40歳近くまでやっていた。自尊心と学習能力が低いのだ。
35歳くらいのときに、ある人と同棲をはじめた。
カミングアウトさえしなかったけど、私の両親にも会わせた。ばれてもいいや、と思っていた。そのくらい覚悟があった。
でも、その人は愛情表現が不得意だった。キスさえも嫌がる人だった。それでも私はできるだけ寄り添おうとした。そして、少しずつしんどくなっていった。
ある日、出来心で浮気をしてしまった。両親に会わせるほど、ゲイばれしてもいいやと思うほど、ずっと一緒にいると覚悟していたつもりだったのに、一度やってしまうとタガが外れてしまうもので、私は出張のたびにゲイアプリを開いてセックスしていた。
悪いことは隠し通せないもので、ゲイアプリ経由で浮気がばれてしまった。泣いて謝ったが、彼は許してくれなかった。3年間、時間をかけて築いてきた関係がすぐさまダメになってしまった。
そこから数ヶ月は、やけくそになって遊びまくった。ゲイアプリで相手を探して、毎週違う人とセックスしていた。
その過程で、いまのパートナーに出逢った。
出逢った当初、私は彼に「オープンリレーションシップでいいかな?」と言うほどステディな関係を築く自身がなかった。
彼は物静かで、どこか人生を悟りきっているような雰囲気がある人だった。話していくうちに、価値観や興味の方向性にいくつもの共通点があること気づいた。セックスに強いなんて虚勢を張らずとも、自然体の自分で居られる人だった。なんやかんやあったけど、いまはその人と一緒に暮らしている。これからもずっと、この人と一生を共にするだろう。
古い靴下の裏のような自尊心しかなかった私が、まさかこんな気持ちになれるとは夢にも思っていなかった。あのとき、もっと自分自身を大事にしていたら、セックスに明け暮れた時間を別のことに使えたかもしれない。
「たられば」を言ってもしょうがない。でも、いま確実に言えるのは、どんな状況であっても、自分をハンドリングできるのは自分しかいないということ。相手に求められたからとホイホイ出向くような安売りをしていると、自分が見えなくなってしまうのだ。
いま、私にとって一番かけがえのない時間。
それは、パートナーと一緒になんでもない話をして笑っている時間だ。この時間を守るためなら、どんなことでも頑張れる気がしている。
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