城ヒロシ

東京在住会社員ライターの40代ゲイ。notoでの執筆テーマは、ゲイ/LGBTQ+/男ら…

城ヒロシ

東京在住会社員ライターの40代ゲイ。notoでの執筆テーマは、ゲイ/LGBTQ+/男らしさ/ルッキズム/ライフヒストリー。インタビュー大好き。音楽や映画はもっと好き。 セクシュアリティなどに関わらず、いろんな方々の生き方を知りたい。

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    40代ゲイ男性の人生を棚卸します。少しずつ更新予定。

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クィアさ溢れる6人組「パンダドラゴン」に、幸せな生き方のヒントを見た

パンダドラゴン。 ふざけた名前の男性アイドルグループに夢中になるとは思わなかった。 彼らのことを知ったのは1ヶ月ほど前。YouTubeにサジェストされた新曲動画を、なんらかの理由でクリックしたのがきっかけだった。なんでクリックしたのかはもう覚えていない。 所見の時は、意地が悪い目線で見ていた。 「なんだこの化粧が濃いメンバーは?」 「アイドルにしては太りすぎてない?」 など。今思えば、私の中にある男性アイドルに対する不健康な価値観があぶり出された瞬間なのかもしれない。

    • 【ロッキンひたちなか】モー娘。とME:Iを観に行ったら、サンボマスターに音楽で殴られた

      私は十数年、ハロプロを追っかけている。 といっても彼女らのパフォーマンスを生で観たのは片手で数えられる程度で、ほとんどはウェブに落ちている情報や動画をチェックし続け、リリースがあれば公式MVで聴いてみるというくらいだ。 彼女たちは基本的に生歌で踊りまくる。そのブレなさに驚かされる。あとは表現力。つんく♂をはじめとする作家陣が手掛けた楽曲を読み解き、パフォーマンスに落とし込む能力が鍛えられている。ただの歌上手でなく、ダンスマシーンでなく、表現者としてのプロ意識にこだわる姿勢に

      • 40代ゲイの同性婚に対するモヤモヤとキラキラ

        YouTubeで、とあるゲイカップルへのインタビュー動画を見た。年の差は10歳程度で、年上の方が年下の方を養子縁組するらしい。 養子縁組するに至った一番の理由は「同じ苗字になりたかったから」と語っていたので腰が砕けてしまった。「できれば専業主婦になりたい」的な将来への展望を、若いほうが目をキラキラさせながら話している姿にもモヤモヤした。 私が常々、そういうカップルについて思っているのは「結局それって、異性婚にハマりたいだけで思考停止していますよね?」ということ。 同性婚

        • 日曜日の深夜、仕事のことを考えて心配になるけれど

          仕事が忙しい。 ばたつく中で、新たに気づいた事がある。 私には胆力が足りない。 この場合の「胆力」というのは、心配になる気持ちをぐっとこらえる力のこと。いろいろ考えて、先回りして、心配になる原因を考えて確認したくなるのだ。 場面によっては、その特性が良い方に働くこともある。少し前までは「なんて私は気づくのが上手いんだろう」とさえ思っていた。でも、だいたいの「心配」は杞憂に終わるし、なんせ気が休まらない。 いまの仕事においては、むしろ私の心配は余計なノイズになることが多い

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          40代ゲイが殴り書く「カミングアウト」に対する価値観

          LGBTQ当事者なら、絶対に一度はすることを考える「カミングアウト」。ネットをはじめとするメディアでは、「いろいろあったけどカミングアウトした結果、本当の自分を周囲の人たちに知ってもらえて良かった」みたいな美談にされがちだ。でも、カミングアウトは本当に「本当の自分」を知ってもらえる行為なのだろうか。 確かに、自分自身が抱えている悩みを打ち明ければ、スッキリするはず。でも、それが持続的な幸せの根本になるかどうかは、人によるんじゃないのかなと私は思う。 カミングアウトして「本

          40代ゲイが殴り書く「カミングアウト」に対する価値観

          新しい職場で、自信のない自分に向き合ったら開き直れた話

          新しい仕事に就いて、10ヶ月ほど経った。 40代にして、7カ所ほどの職場を渡り歩いてきた私だけど、今回ほどモヤモヤする職場はなかった。 「モヤモヤする」要因は、果たしてなんなのか。 いくつか思い当たる節はある。 まずは年齢。 40代になって、新しい環境に飛び込むことは初めてだった。30代までは、キャラクターでごまかせていたことが、ごまかせられなくなるような感覚がある。いい年なんだから、これくらいはできて当然だよね?と思われているような感覚。それに応えられない自分は、残念な

          新しい職場で、自信のない自分に向き合ったら開き直れた話

          40代ゲイが語る『The Boyfriend』

          Netflix の恋愛リアリティプログラム『The Boyfriend』が話題になっていますねー。国内初の男性同士の恋愛リアリティ・ショーと聞くと、ひねくれ40代ゲイ男性としては気になるもの。「みたら負けてしまう…!」という謎の虚勢もありつつも、好奇心の方が勝ってしまった。配信日に一気見しました。 もともと「恋リア」と呼ばれる類いの番組は観ない。ゲイ男性が出るっつっても、どーせツラの良い優男たちがBLニーズに応えるかのような綺麗な惚れた腫れたを展開するんだろう?なにが面白い

          40代ゲイが語る『The Boyfriend』

          頑張らなくてもええねんで

          あー、しんどい。 転職して9ヶ月近く経つというのに、職場の雰囲気にも、業務にも慣れない。こんなのはじめてだ。 いくつかの原因に心当たりはある。 40代というまあまあのキャリアで入職したけど、初めて挑む業務が多いこととか。役職的に一匹狼のように動かなければいけなくて、いつまで経っても心細さが消えないこととか。 そんな弱みを共有できる仕事仲間がいなくて、自分の置かれている状況について客観的な意見がもらえなこととか。 何より、そんな弱みに振り回されている自分自身を情けなく思っ

          頑張らなくてもええねんで

          ズタボロになって、幸せをつかんだら中年になっていた

          上京後にライターという仕事にありつき、なんとか頑張り続けることができた私。私生活はどうだっただろう。 ゲイ。ニキビ肌。借金まみれ。堅気の仕事ではなく安定していない。キャリア設計という言葉とは無縁の職歴。上京した後、けっこう長い期間、これらのことを自分のダメな部分だと感じていた。自己申告しないと他の人には伝わらないけど、確実に自分自身は心地よくない。履き倒した靴下の穴が、皮膚をヒリヒリと刺激するみたいな嫌な感じを数年間感じながら生活していた。 自分は、出世レースからコースア

          ズタボロになって、幸せをつかんだら中年になっていた

          つぎはぎだらけのシャツに、風をはらませて歩いていく

          グラフィックデザイナーをめざしていたはずなのに、なんやかんやで音楽系フリーペーパーの編集者になっていた私。小規模な会社だったけど「さすが東京!」という経験をたくさん積むことができた。一方で、沖縄時代からの借金も膨らみつつあり、30歳を目前にかなり焦りを感じていた私は、WEBライターに挑戦し始める。 私の気まぐれな思いつきと前後して、携わっていたフリーペーパーは廃刊になってしまい、社員も激減した。在籍していた会社は、編集にとどまらず音楽関連のいろんな新規案件をこなしながらなん

          つぎはぎだらけのシャツに、風をはらませて歩いていく

          好きなことを仕事にできたものの

          音楽系フリーペーパーの編集者という職に就けることになった私は、自分の人生における願いを全て叶えたような気になっていたと思う。 それはしょうがない。だって、音楽をはじめとするエンタメが大好きで、その裏方みたいなポジションにつけるなんて、ファンからしたら趣味のようなものだから。 実際に、その職場では第一線の方々との仕事に関わることができた。沖縄にとどまっていたら、考えられなかったようなことばかり。高校時代に良く聴いていたアーティストが事務所で打ち合わせしたり、レジェンド級のシ

          好きなことを仕事にできたものの

          終電間際の地下鉄ホームで、冷めたポテトをかみしめていた頃

          27歳、一般的に「ほんとうにこのままでいいのか」と自分の人生について考え始める年齢だと言う。私もそうだった。 食いっぱぐれないが、先が見える人生。当時の私にはそれが退屈に思えた。「安定」も、人生を豊かにする大きな要因なのに、なんて生意気な奴だったんだと思う。でも、そういう年頃なのも事実だ。 上京した私は、派遣会社で働いた。業務内容は、BtoBのコールセンターでのオペレーションだった。仕事自体はそんなに難しくないし、職場の上司や同僚にも恵まれた。酒好きの上司に、よく飲みに連

          終電間際の地下鉄ホームで、冷めたポテトをかみしめていた頃

          20代後半、考え無しに上京を決意する

          社会人になってしばらくは、地元で働いた。たまに出張に行くこともあったのだけど、その回数を重ねるにつれ、沖縄の外での生活に憧れを抱くようになってしまった。 大きな夢を抱かず、たいした目標も立てず、その場のノリだけで生きてきたようなところがある私は、沖縄の外に出ることなんて考えてもいなかった。私にとって、内地(沖縄県人にとっての日本本土)は全くの別世界。テレビ番組でタレントが流行りのスポットについて語るのを目にしても、全く自分には関係のない世界に感じられた。画面の向こう側で、楽

          20代後半、考え無しに上京を決意する

          BLドラマみたいな再会と、SNSで見た幸せな姿

          大学時代、私はバイトやゲイ活動に注力しながらも、なんとか留年せずに卒業できるほど勉強に励んだ。 そして奇跡的に、「あの会社なら安心だね」と誰からも思われるような地元企業に就職することができた。 大学時代は居酒屋や喫茶店など飲食店のバイトばかりしていた。幼少期の小間使いや、中学時代の先輩達との関係などから学んだ「奉仕の精神」みたいなのが私の基本姿勢みたいなところに染みついてしまい、お客様に気持ち良く過ごしてもらうために働くって、楽しい!と本気で思っていたし、人よりうまくでき

          BLドラマみたいな再会と、SNSで見た幸せな姿

          ニキビに悩んだゲイが、若い人たちに伝えたいこと

          人生を棚卸しする感覚で、記事を少しずつ更新している。 幼少期から始めて、やっと大学を卒業しそうな時期に突入して、折り返し地点に辿り着いたかなという感じです。 これまで私は、いくつものコンプレックスを抱いて、生きにくさを感じてきました。その大きな要素のひとつに、ニキビ肌というのがあります。今日はそのことについて語りたい。 中学生の頃から始まり、高校でピークを迎えて、30代くらいまで落ち着くことはありませんでした。食事を工夫したり、生活リズムを整えたり、枕カバーを綺麗にしたり

          ニキビに悩んだゲイが、若い人たちに伝えたいこと

          たくさんの仲間とゲイに出逢ったゼミ時代

          私が選んだゼミは、大学の中でも個性的な人たちが集まっていた。バイトや飲み会、ゲイ活動に明け暮れていた私はまともに勉強していなかったため、成績が理由で希望していたコースを選択できなくなっていた。なんと、高校が一緒だったT君と2名のみ、そんな状況になってしまった。 しかし、当時の私は全く危機感を抱いていなかった。あー、なんか残念だったな、くらいだった。それで消去法でえらんだゼミに入ったのだけれど、そこが個性的な面々の集まりだった。 音楽家、超イケメンで頭キレキレ、地元の超人気

          たくさんの仲間とゲイに出逢ったゼミ時代