
「怒り」をちゃんと存在させたら、めちゃくちゃ楽になった件。
このところ、自分の中で
大きな変化だなぁと思うことがあって。
それは、
本気で怒ってもいいって
自分に許可したこと。
今まで怒ってなかったなんて、
そんな聖人君子みたいな人間だったわけじゃなく。
いったん怒ったとしても、
いや、でもさ、って言いながら
大人ぶって冷静になったり。
でもさ、あの人にもいいところあるじゃん?
なんて良い人ぶってみたり。
それを、やめた。
わたしは怒りが湧くと喋りたくなくなるタイプなんだけど、
今まではぐちぐち言ってみたり、言い返してみたり、
どこか中途半端だった。
100%全力で、本気で怒る、怒りを表現する、ということを、
ずーっと回避してたんだなって思う。
で、どうしたかというと、
全力で無視。無言を貫く。
一切、喋らない。
一切、関心を持たない。
一切、エネルギーを向けない。
で、どうなったかというと、
エネルギー漏れが止まった。
向けたい方に、注ぎたい方に、
エネルギーを向けられる、注げるようになった。
怒りを表現していいんだ、と思えた。
決して、それをすることで相手を変えたいとか、
相手に変わって欲しいとか、そういうのは全くなくて。
ただただ、ストレートに、怒りを表した。
表すことができた。という感じ。
生まれて初めてかもしれない。
「怒り」という感情を、
感じることすらやめてきた。
それが「怒り」だなんて、認めてこなかった。見て見ぬフリをしてきた。
「怒り」を抱いたところで、
ぶつけるところもなければ吐き出すところもないし、
そんな感情を持ったところで何の意味もないし、
なんなら害にしかならないじゃん。と思ってきたから。
でも違った。
「怒り」を認める、表現するって、
そのまんまのわたしが、
そこに存在しているってことだから。
感じるまま、堂々と生きること。
わたしがそこに「怒り」を感じた、
それが真実。
他の人はそこまで怒らないよ?とか、関係ないの。
そんなのどうでもいい。
「怒り」は
自分にとって
嫌なこと
許せないこと が
ある場所に生まれると思っている。
だからね、
自分にとって嫌だと感じること
自分にとって許せないと感じること
それをしっかり見てあげて、
ちゃんと認める。
認めるって、
「あ、そこにあるね」って
存在を確認すること。
意外と淡々としてるのよ。
そんなシンプルで単純なことなのに、
ずっと避けてきたし、ずっと自分に禁止してきたし、
ずっとその感情の存在自体、なかったことにしてきた。
怒りを認めて、
それを表現した。
わたしの中では、
ものすごく大きな一歩。
喜怒哀楽の中で、「怒り」って
一番厄介者扱いされてる感情かもしれない。
だけど、「怒り」の生まれるところには、
創造とか情熱のエネルギーも生まれるから、本当に大事。
「そんなこと怒っても仕方ないじゃん」
「怒ってもどうにもならないよ」なんて、
妙に物分かりのいい大人ぶって、
自分の内側に自然と湧いてきた
「怒り」そのものまで、
なかったことにしちゃいけない。
忙しいこの現代社会では、
そういう気持ちの動きも
すぐに流されて
忘れてしまうから。
それを外に出すかどうかは
また別として、
自分の中から湧いてきたものは、
せめて自分だけは
否定せずに
非難せずに
批判せずに
そのまんま
聴いてあげよう。
ノートにあれこれ書いて、
OKスタンプをポン!と
押してあげる。
どんなことを感じたってOK!
まずは、まるっと自分が受けとめる。
「怒り」を感じることもOK!
としたら、本当に楽になった^ ^