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想像力の極みと文学の自由さに途方に暮れる―残雪「黄泥街」を読んで―
得体の知れない小説を読みました。
私はそこそこ小説を読んで来ている方だと思いますが、ここまで振り回され、途中で理解することを諦めた経験は初めてでした。残雪の「黄泥街」です。
■夢か、狂人たちの日常か
残雪は中国人作家で、ツァンシュエと発音します。初めて読んだ作家です。1953年生まれ。この黄泥街が、実質的な処女作のようです。黄泥街は、「ホアンニーチェ」と発音します。
どんな小説か。すみませんが説明できません。登場人物は勝手なことを喋りあって会話が成立しないし、誰が死んでしまって、誰が生きているのかもわからなくなる。荒唐無稽な夢なのか、はたまた狂人たちの日常か。気になる人には「読んでみてください」とこの本を渡すしかない。
それくらい意味不明ですが、面白くて、ぐいぐい読めちゃったのはなぜなんでしょう。
■理解するな、感じろ
黄泥街は、町はずれにある狭くて長い一本の通りです。
いつも空から真っ黒な灰が降っていて薄汚く、腐った果物がさかんに売られています。猫も犬も飼っているうちに気が狂うし、住民は寝てばかり。人間の糞尿に加え、コウモリやトカゲ、ハエやヒルが飛び交う環境です。
ポンプに腐乱死体が詰まったまま、みんなでその水を飲んでいたこともあります。住民は糞を垂れながら罵り合う。便器いっぱいの糞を向かいの家に浴びせかけ、相手も便器で応戦するなんてことも。
そんな混沌の街で、「王子光(ワンツーコアン)」という、人間なのかどうかもよくわからない存在(言葉)が現れ、騒動が起きる、という話だと思うんですが…。すでにここまでで自信がない。
なにしろ、登場人物は好き勝手なことを言い合うし、「あの人の正体は、実はこれこれこうだったのだ」と書きつつ、あっさり後からそれを否定したり…。
そもそも誰が誰なのか、誰と誰が話しているのかがわからない。会話のキャッチボールなんて無視。糞便が垂れ流されるなかでの会話と行動は、終末のビジョンというより、人間や世界が生まれる前の混沌のように感じました。黄泥街には住みたくない。
奔放すぎる。人の想像力って、とてつもないなと思います。途中から途方に暮れて、理解しようとすることを諦め、ただ物語に体を委ねました。不思議とページをめくる手が止まらないんですよ。
読み終えて思ったのは、小説の、文学の自由さ。何をやってもいいんだな、読ませる力があれば、小説はこんなに自由なんだな、ということ。
本格的に説明になってないですね。でも読んでほしい。理解しようとするな、感じろ。そういう小説です。(了)
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