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会社を辞めた⑥


普段、遠方への移動の際飛行機はめったに使わない。飛行機が必要なほどの距離の移動が仕事柄皆無だったし、首都圏へ行くにしても家や職場から空港への移動などを考えれば、新幹線の方が割安だった。運転も好きなので、4〜5時間までの運転ならば車で行くこともある。

飛行機に乗るのは前回沖縄に旅行に行って以来3年ぶりだ。私は三半規管が弱く、行きの飛行機は乗り継ぎ便を含めて離着陸時にひどく気分が悪くなった。今はアネロンを飲んで万全の状態で帰路に備えている。

今日は10月26日。会社を辞めてもうすく1ヶ月が経つ。

21日からの一週間弱、私は広島に拠点を置いて山陰山陽で遊び呆けていた。世は衆院選一色だというのに、国の未来を担う国会議員に誰を選ぶかよりも毎日の晩御飯をどうするかの方がだいぶ切実な悩みであった。一応は旅行前に期日前投票は済ませてきている。どうせ裏金問題で野党が躍進するんだろ。

今は機内モードに設定したスマホでメモ帳にこれを書いている。昨日はうまく眠れなかったので寝不足だが、飛行機の中で眠れそうもない。本も読みたくないので、この旅の振り返りを始めたい。




転職までの2か月の間、どこかで絶対に長期スパンで旅行に行こうと決めていた。ではどこに行こうかと考えた時、普段は行かない地域、かつ人生で一度は行っておきたい観光地を巡ろうと思い、いの一番に思い至ったのが島根県の出雲大社だった。

特に理由はないのだがたぶん疲れていて、スピリチュアルなものとか神的なものに縋りたかったのかもしれない。なんでもいいからどこかからパワーを得たかったのだと思う。出雲大社を旅のメインに据えて、それでは他にどこへ行こうかという考え方で旅程を組んだ。県境を跨いで移動したかったので、地理的にアクセスが良さそうな広島に拠点を設けることにした。長期滞在中の宿泊場所の頻繁な移動は、やってもいいがひどく疲れる。運転時間を長くした方がましで、私には合わない。

転職したら私は地元を離れる。単身赴任している夫ともさらに距離が離れてしまうかもしれない。できるだけ土日は一緒にいたかったので、夫の予定も考えて当初考えていたよりもだいぶ短い5泊6日で予定を立てた。移動や宿泊の手配は全てじゃらんのANAパックにおまかせした。ホテルも飛行機もレンタカーも全部一括で手配してくれて至れり尽せりだ。緻密にやればもっと安上がりで快適な旅を自分でコーディネートできたのかもしれないが、私は金で手間と時間を買う。


21日。午後4時頃に広島に着きレンタカーを借りて、ホテルへ向かう。ホテルは広島駅前のアパホテルを借りた。私には駅や行政庁の周辺こそ、その土地の風土を最も良く表しているという持論がある。ホテルに車を置いて駅前をぶらり散策してみると、駅や駅ビルのすぐ隣を川が流れているという他の土地ではあまり見ない光景だった。

空港からの道中も川と橋が多い上、走行車線も多いのでカーナビを見ながら車線を間違えないだけでも必死だ。Googleマップで地図を確認してみると案の定、中国四国随一の都会とは思えないほど陸地がズタズタ。今まで広島に縁もゆかりもなかったので(まさか原爆で...)とだいぶ突飛な想像もしてしまった。


この地形の謎は、どうやら1500年代に中国地方で覇権を握った毛利氏に由来するらしい。広島市のホームページによると、現在広島市中心部のある太田川下流域は、元々はほとんどが海だったという。時代とともに土砂が流れこんできてデルタをつくり、漁業などを生業とする人々が村を形成。周辺国との海陸交通などが発展し軍事や政治、経済の要衝となるにつれ、毛利氏がこの地域を広島と名付けて本拠を移し、埋め立てとともに城下町の形成を始めたのだとか。


やはり実際に行ってみないとわからないというか、調べようとも思わないことがたくさんある。余談だが、私は10代の頃戦国BASARAをプレイしていたので毛利氏といえば毛利元就だ。安芸がどうの水軍がどうのというのはよくわからないにしろ耳馴染みがあったので、広島に来て毛利の名を聞くと勝手に親近感が湧いていた。

Wikipediaなんかを読んでいるとこの元就、一代で所領を広げまくった極めて優秀な武将だったようで、広島に広島城を構えた毛利輝元は元就の孫だ。

「あの緑の人はそんなにすごい武将だったのか….」とか、「あの一族が城と城下町をかまえたおかげで400年後の未来には中国四国唯一の100万都市になっているのか…」とか、色々感慨深いものがあった。たかがゲームとはいえ無駄な経験など何一つない。市街地中心部の川沿いはどこも綺麗に遊歩道が整備され、歩くだけでも楽しげな気分になる水の都であった。

ところで初日の夜、どこで夕食を取ろうかとそればかり考えて、手っ取り早く駅ナカのお好み焼き屋が並ぶフロアに入った。るるぶに大きく写真が載っていて、広島風お好み焼きの草分け的存在とされる「みっちゃん総本店」とやらの支店を安易に選び、行列の最後尾に並んだら30分は待つことになった。

店内の壁には広島風お好み焼き発祥のストーリーが描かれていて、なんでも創業者の井畝満夫氏は、戦後焼け野原だった広島の地で父の跡を継ぎ、屋台でお好み焼きを売っていたのだとか。麺の上にお好み焼きを載せてみると美味しく、またお腹いっぱいになるということで最初に店舗でメニューとして提供し出したのがみっちゃんだったそう。現在のようなそば入りのお好み焼きの原型が定着し出したのは1950年代半ばころだそうな。創業者である初代は3年ほど前に引退したらしく、屋号と名前を2代目に継承しているという。

そういう物語を聞けばこの味も納得がいく。生地の小麦粉に麺が加わり、炭水化物+炭水化物でかなりボリューミー。お腹いっぱいになりどこか懐かしい味がする。味だけなら並んでまで食べるほどかと言われれば正直そうでもないが、ここは広島風お好み焼きの歴史を味わいながら食べる店なのだなと思った。


腹ごなしに、広島市内の名所も夜に回ってしまった。広島市内を走る路面電車に乗り平和記念公園周辺へ。原爆ドームや広島城などは昼に見るのとはまた違う趣がある。修学旅行シーズンのようで、公園沿いの川に高校生が体験活動で流したとみられる灯籠が浮かんでいた。

ドーム隣のおりづるタワーは、昼は楽しみながら平和について考えることができる施設らしい。市内を一望できるタワーの展望フロアは夜はバーになっていて、お酒を飲みながら広島市の夜景を楽しめた。

実際に上ったみたところテーブルや椅子はなく、段差になっているところにクッションが複数個敷いてあって、階段に腰掛けながら酒を飲む外国人カップルがいた。私も真似をして座ってみるがどこか落ち着かず気もそぞろ。柵に近づくときは必然的に立ち上がるので、グラスを持って立ち飲みで夜景を見ている光景は傍目から見たらちょっとシュールに思える。

その後、広島の繁華街をぶらぶらしながら帰途についたら、偶然にも岸田さんの選挙事務所を見つけてしまった。そうだ広島1区は岸田さんの選挙区である。都会の街中はどこもそんなに景色が変わらないので、妙なところで広島まで足を伸ばしていることを再確認してしまった瞬間であった。




初日だけでも濃密な時間を過ごした気がする。残りの5日分も、ちまちまと書き進めていこう。




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