鼻顔稲荷神社の初午祭
小学校の近くに鎮座する鼻面稲荷神社は、約400年前に京都伏見稲荷神社から勧請して創建された日本の五大稲荷神社の一つである。
鼻顔稲荷神社のお祭りである初午祭は、毎年2月の初午の日に開催される。
縁起物のダルマ市や、露店が数多く出店し、商売繁盛や家内安全を祈願する参拝客でとても賑わった。
夕方からは湯川のほとりで奉焼祭(古いだるまの御焚き上げ)も毎年行われる。
1985年2月12日初午の日。
当時小学校1年だった私は風邪ひいて学校を休んだ。
そして母親に連れられて小学校近くにある”角田医院”へ行き、診察を受けて薬を処方してもらった。
その帰り道、初午祭で賑わう鼻顔稲荷神社に行ってみた。
岩村田商店街から神社へ向かう参道には多くの露店が建ち並び、神社入口の出店では縁起物のダルマを買い求める多くの人々で賑わっていた。
この時期の長野県は一年で最も寒い時期である為、数日前に降った路上の雪は凍りつき、吹く北風は凍てつく冷たさであった。
そんな寒さの中、たこ焼きやお好み焼きのソースの焦げる香ばしい香りと、焚火の炭の焼ける匂いがお祭りの雰囲気を盛り上げていた。
当時の佐久市は、小さな岩村田商店街以外には田畑が果てしなく続く未開発の地であった。
そのような時代の地元商店街を巻き込んだ大きなお祭りだけあって、ひと際賑やかであった。
神社を参拝した後、帰りに露店でお好み焼きを買ってもらった。
私は極寒の北風が吹く中、壊れかけたベンチに座り、買ってもらったばかりの熱々のお好み焼きをほおばった。
家で食べるお好み焼きとは一味違い、クリーミーで濃厚な味わいは、お祭りの特別な味だった。
身も心も温かくなり元気を取り戻したので最寄りのバス停に向かい家路につく。
数年後、佐久市には高速道路や新幹線が開通し、大型ショッピングモールが進出してくると地元の商店街は一気に活気を失っていった。
それでもお祭りだけは毎年ずっと続いていた。
あれから十数年後に私は大人になり東京で暮らすようになった。
慌ただしく過ぎ去る日々の中で、毎年初午のお祭りの時期になると必ず思い出すのは、あの時の屋台のお好み焼きを食べて母と一緒に歩いた時の思い出である。
もう年の暮れである。
年が明けると間もなく初午のお祭りの時期である。
来年こそあの場所へもう一度行き、あの時と同じお好み焼きを探しに行きたいと思う。