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「If...」

はじめに

演題の「If…」。
「If…」の文字面を見ると、先日のヨネダ2000のネタでも話題になった「もしも~君が、一人なら~」のフレーズが浮かびそうですよね。
そう、DA PUMPの「If…」。
でもなんということか!私はこの曲の題名が「If…」だと知りませんでした。
なので特にDA PUMPに言及することはありませんでした。完全に演題選定ミス。普段だったら演題決める時はその文字がどんなものを連想させるのか事前リサーチを怠らないのですが、今回は締め切りが迫っていることもあり焦って演題を出してしまい…。
弁論において一番大切にしている演題のミスは結構萎えましたね。

今回は、公益社団法人 土木学会様主催の「全国土木弁論大会2023「有馬優杯」」に出場をさせて頂き、最優秀賞(優勝)という名誉ある賞を頂くことが出来ました。

私の所属する大学弁論部が出場する弁論大会は大きく分けて「学生弁論大会」と「社会人弁論大会」という2つのカテゴリーがあります。この土木杯は後者の「社会人弁論大会」にあたる大会でした。
日本語の弁論競技の形式としては、大きく分けて「高校生弁論」「学生弁論(主に大学生)」「青年弁論(大学生から社会人)」の3つに分類でき、それぞれ競技のルールに差異があります。
私は普段大学弁論部にて学生弁論のフィールドにて活動してきましたが、今回はその枠を飛び出し青年弁論の社会人弁論大会に挑戦することになりました。

学生弁論と青年弁論の大きな差異は、弁論時間と野次の有無があげられます。学生弁論は11分~15分程度の弁論時間に加え質疑応答の時間が10分~15分程度あり、多くの大会で弁論中の野次が許可されています。一方青年弁論は7分~10分程度の弁論時間に、弁論中の野次が許可されていない場合が多いです。あくまでルールは大会に依りますが、大まかにこのような傾向に分類されます。

普段壇上で弁論をしている際には、聴衆の容赦ない野次を受けますが、野次をされると「あ、私の弁論を聞いてくれている」という安心感がこみ上げてきます。また、野次の反応を踏まえて声調のスピードや強弱を変更したりといった調整の一つの要素となっていました。今回の土木杯では野次がありませんでしたので、壇上で弁論をしている際に「私の弁論は聴衆に届いているだろうか?」という不安がありました。
そんな中、最優秀賞という賞を頂けたことは、普段からやってきたことが認められたんだなという安心感と共に、「学生弁論ってこんなに元気なんだよ!」という大きな想いを青年弁論の方々に伝えられたかなと僭越ながら思うのです。

今回の弁論は、私自身非常に強い思いをもって訴えたものでした。
先日行われた東京大学五月祭記念弁論大会で惨敗した苦い思い出から、様々な反省と考察の中で「自分が弁論する意味」や「弁論の波及性」について非常に思い悩みました。
そんな中で、私が「神道文化学部」に所属する大学生で「大學辯論部」の弁士として何を訴えて、弁論に私の色を持たせるのだろうと熟考した結論のひとつでした。
情報化・機械化の発展した現代において、自然信仰に端を発する神道という日本固有の信仰がこの国で紡がれてきたモノガタリにはどのような意味があって、現代人はそれをどう咀嚼するのか。そしてそれを「弁論」という私のフィールドでどう伝えるのか。

そんなことで、ひとまず大会で行った原稿を掲載します。
(一部改変あり)


原稿

If…

導入▷
If。「もし。」
もし、今地震が起きたら、火山が噴火したら、斜面が崩れたら?
日本は非常に自然災害の多い国です。特に地震においては、世界で発生したM(マグニチュード)6以上の地震のおよそ20%が日本で起こっているというから驚きです。日本という国に住む私たちにとって、自然災害はすぐそこにあり、今この瞬間にも被災する可能性があります。
ただ、自然は災害だけではなく、豊かな恵みももたらします。
日本の地で生きてきた人々は、そんな「自然」の事象を神によるものと考えていました。
農業や漁業を通じて、ひとびとに豊かさをもたらす「恵み」。
地震に水害、干ばつなど、人々に襲い掛かる「災い」。
人々は自然に対して「畏怖」の念を持ち、怒れる「災い」を鎮め、豊かな「恵み」を受けようと、自然への信仰・祭祀を行ってきました。そんな信仰や祭祀をルーツに持つのが、「神道」です。
私は現在、國學院大學の神道文化学部に通い、神職の資格取得の為日々勉学に励んでいます。
今回、神明への奉仕を志す一人として、信仰などが紡いだ防災意識について論じます。

分析▷
もし、今災害が起きたら。
関東大震災が起きた100年前も、防災技術の発展した現代社会においても、人間は自然災害の発生を明確に予測・防止出来ていません。だからこそ、先人たちは災害について記録をし、後世に残そうとしてきました。
阪神淡路大震災や、東日本大震災のオーラルヒストリ―をはじめ、古くは「日本書紀」や「方丈記」、各藩の記録にも多聞に残されています。
しかし、特に古い時代において体系化された歴史の記録の多くは、勝者の歴史、つまり、歴史を残せるだけの立場があったものによって刻まれます。そのため、歴史にならなかったものの声は刻まれません。でも、そんな声が刻まれているものがあります。
それが「信仰」と「地名」です。

分析展開①▷
信仰から説明します。
「土木学会論文集F6(安全問題)」、において「東日本大震災の津波被害における神社の祭神とその空間的配置に関する研究」という論文があります。この論文では、東日本大震災における津波被害において、「スサノヲノミコト」を祀る神社が津波被害を免れていること明らかにしました。
また、甲斐川がモデルとされる八岐大蛇を退治したスサノヲノミコトは、治水の信仰と重なり、スサノヲノミコトをお祀りする神社は治水上の要所に鎮座していることが多いことを述べています。
つまり、スサノヲのお祀りされている神社、もしくはその土地は水害に対して強いことが想定できます。
また、農業豊作に伴うお祀りは「風害」や「水害」、収穫の祭りは台風の被害減少を祈るなど、地域の神社におけるお祀りによって、その地域ではどういう自然災害が多かったのかを知ることができます。
また、東日本大震災の際、「此処より下に家を建てるな」という「大津波記念碑」の存在が話題になりました。同様の石碑は日本中に多くおかれています。この石碑の教えを守り続けてきた岩手県宮古市重繁姉吉(おもえあねよし)地区では、津波による建物被害が一軒もありませんでした。これも、先人の残した教訓を信心深く守った結果でしょう。

分析展開②▷
次に、地名です。
日本には「災害地名」と呼ばれる、災害の歴史や、地形などからつけられた地名があります。
政府は、「水」に関する川、池、浦、田などが使われた地名は海や川の近く、低地や湿地帯など水害の起きやすい土地であることを。
「蛇」や「竜」などの地名は、過去に大規模な土砂災害が発生している場合、「猿」は地滑り、「鷹」は急傾斜地など、地名と災害リスクの結びつきについて紹介しています。
全国の地名が全て当てはまるとは言い切れませんが、そのような傾向があることは確かです。
地名を知ることで、地域の災害リスクについて知ることもできるのです。

(間)

理念+提起▷
本弁論はYouTubeにて公開されると聞いています。
私はこの弁論を聴いているすべての皆さんに「もっと自分の住んでいる地域について知ってほしい!」ということを強く訴えたい!
人間の一生はとてもとても短い。人間に比べて長いサイクルで発生する災害に対して、「信仰」や「地名」は長いサイクルで現代まで紡がれた、先人の知恵であり、歴史に残らなかった、地域の先人の声なのです。
自治体では、ハザードマップを作成して地域の住民に自然災害の危険性や、避難について周知してくれます。しかし、「信仰」や「地名」などの情報には触れられていません。
特に、自治体合併や再編による地名変更などがここ百数年で大きく進みました。神社も神職が減少し、廃さざるを得ない状況も増えています。信仰や地名が廃れることは、過去とのリンクが失われることを指すと言っても過言ではありません。
人事を尽くして天命を待つ、とは言ったものですが、災害に対しても日ごろからの意識が大事です。皆さんはハザードマップで満足せず、自分の住んでいる地域の昔の地名はどうだったのか、近くの神社ではどんなお祭りがされているのか、過去とのリンクを調べて自然災害への意識を強く持ってください。

結び▷
If a natural disaster occurs now.
もし今、自然災害が起きたら。
そんな「もし」のために、自然を知り、災害を知り、住んでる地域を知り。そして、常に自然への畏怖を。
ご清聴ありがとうございました。(2125)


原稿分析

五月杯の振り返りに形式を揃えて、各パートごとに原稿背景解説や分析を入れていきます。

・導入

日本が災害大国であることは、言うまでもないでしょう。
この大会のテーマが「関東大震災から100年を踏まえて、命をまもるためにできること」でした。大会のテーマとして関東大震災から100年ということがあり、ここでは文字数との兼ね合いも取り地震にフォーカスしました。

東日本大震災当時、私は小学二年生でした。東京も最大震度は5強。
帰りの会の最中に揺れが始まり、初めて訓練ではなく机の下に隠れました。ランドセルは倒れ、中身が飛び出し教室は悲惨でした。慌てて帰宅するとテレビには太平洋沿岸に黄色のラインが引かれた日本地図が点滅を繰り返しニュースではひっきりなしに被害の報道と避難の案内が流れていたことが強く記憶に残っています。
地震や津波と言った非常に大きな大地のエネルギーが、人間の建造物や生活に対し容赦なく牙をむく様子を見、人間を超越した大きなチカラの存在を感じました。

なんやかんやあり、私は國學院大學の神道文化学部に入学しました。
國學院大學神道文化学部生は入学すると一年生のうちにほぼ必ず読む、「日本神道史」(岡田荘司・小林宣彦編、吉川弘文館、2010)という神道の歴史的変容と神社や神道について分かりやすく解説している本があります。
その本の「自然と神々・祭祀」という項において、

「人間が自然を統制することはできない。現代においても災害など自然の脅威を鎮めることは難しい。自然は神々が領有する世界であり、自然と神とは一体的に認識され、自然の脅威・災害は神の仕業、祟りとされた。人間が自然を破壊する神の領域に入ることには制限があり、人間は自然との共生の道を選んだ。自然・神と人間とを取り結ぶ、具体的作法が祭祀であり、その聖域が神社であった。神社はは人々が神の神威を頂き、生業の豊かな実りに、感謝・報賽する「顕斎」の場である。」

といったことが書かれています。
私がこの学部に入学し、神道という信仰から世界の見方を学ぶ中で、私が小学二年生のころに感じた、そこはかとない「人間を超越した大きなチカラ」というものは、神道では「自然と神の一体的認識」により、「災い」と「恵み」をもたらす自然は神の領域として畏怖されうるものであるという説明がされることを知ったのです。

命を守るための現代の「防災」というものは、あくまで科学的知見に基づいた明文化・数値化されたデータ上のファクトが重視されていると思います。確かにそれはとてつもなく大事なことです。
しかし、本当にそれだけで良いのでしょうか。
今回の弁論では、自身が神道を学ぶものとして「信仰」など科学とは別のベクトルから、災害大国日本の古い時代の「防災」という観点を掘り起こしながら現代日本の防災意識について論じようと思ったのです。

・分析

財団法人ひょうご震災記念21世紀研究機構では阪神淡路大の被害と復興のプロセスをオーラルヒストリ―として体系化しています。
また石巻市をはじめとして、東日本大震災のオーラルヒストリ―も近年整備されつつあります。
オーラルヒストリ―とは、関係者の話を直接聞いたり事象からの展開の背景や動機など当事者の体験をメインに整備される史料形態の一つです。実際に事象と対峙した体験からくる生の意見は、今後の事象への対応としてとても有意義なものとなります。
また、災害の記録は「日本書紀」の天武天皇記や「日本三大実録」などにも見え、古い時代の文献にも多聞に残されています。

東日本大震災ののち、2011年9月に行われた中央防災会議の「東北地方太平洋沖地震を教訓とした地震・津波対策に関する専門調査会報告」の「今回の災害と想定との食い違いへの反省」の中で、過去に発生したものの震度や津波高を想定できない古すぎる地震を震災モデルの想定外にしていたことを明らかにしています。
その中で今後参考にするべきとされていた、貞観三陸沖地震869年、慶長三陸沖地震1611年、延宝房総沖地震1677年もそれぞれ過去の文献に記録が残っています。
貞観地震は「日本三大実録」にて貞観十一年五月廿六日癸未に陸奥國での地震と津波の記録が残っています。
慶長三陸沖地震はスペインの使節セバスティアン・ビスカイノが日本滞在時に記録した「ビスカイノ報告」や京都の僧侶であった山科言緒の記した「言諸卿記」をはじめ、仙台藩の「政宗君記録引証記」などにも残されています。
延宝房総沖地震では水戸藩を中心に多数の資料が残っています。

実際、中央防災会議の反省点でもあった通り、東日本大震災までは資料の信ぴょう性やその記録のズレなどを踏まえて、震度や津波高を想定できない過去の文献は防災対策にあまり参考にされてきませんでした。
しかし、東日本大震災以降各地域の災害資料の重要性が再認識され、現状その検証を踏まえた上で防災対策をアップデートしている自治体も多く既に文章史料と防災との結びつきは重視されています。
一方、文章化された史料だけではなく、一見震災とはあまり関係なさそうな「信仰」や「地名」は中々焦点を当てられていない現状があります。古い時代に体系化された歴史はあくまで文字での「史料」を残せるだけの立場のあったものの声でしかなく、現在のオーラルヒストリ―のような事象と対峙した体験の生の意見のような史料はありません。そんな声が祭祀や地名などの社会的生活に残っているのではないか?というのがこの弁論の強い思いでした。

・分析展開①

ちょっと文章長いですね。
また10000字越えそうな未来が見えます。

分析展開①では「信仰」について説明をしました。
私がこの学部に入った時に、震災と信仰について気になった時期があり、「東日本大震災の津波被害における神社の祭神とその空間的配置に関する研究」(高田知紀・梅津喜美夫・桑子敏雄、土木学会論文集F6(問題安全)、2012)の論文は読んだことがありました。
今回論拠として引用させて頂こうと思い改めて調べると、土木学会論文集に収録されていました。この弁論は少々土木とは外れたところにいるような気もしていたので、地域歴史や文化とリスクマネジメントという考え方が土木学会にてある程度認めうる範疇であるのだと知り、とても安心したことを思い出します。
導入のパートで述べた通り、神道における信仰と自然災害は非常に密接な関係にあります。その信仰を表面化するのが一種「祭祀」というものであり、地域共同体等で紡がれてきた祭祀の在り方が防災と密接に関わりうるということを説明できたことはとても良かったと感じています。

・分析展開②

分析展開②では「地名」について説明しています。
2014年に広島県豪雨とそれに伴う土砂災害において、被災地区にかつて「蛇落池」「蛇王池」といった蛇にまつわる地名があったこともあり一躍「災害地名」という名前で有名になりました。
地名の出来上がる過程には、その場所で生活を営む共同体の長いサイクルからくるものが非常に多いとされています。
全国各地に「田」を冠する地名が多いことが日本の農耕社会を強く強く反映しているように、その土地の性質を社会生活と結ぶ上で強くあらわす地名がとても多くあります。

・理念+提起

本大会は弁論時間が7~8分ということもあり、具体的な解決策の提示ではなくある意味で価値弁的な提起を行いました。
(政策弁としてはファクトベースの防災対策から、もっと多元的な防災対策へのシフトやハザードマップの展開の改革と展開を想定していた。)
特に、どうしても伝えたかったのは「人間の一生はとても短く、人間に比べて長いサイクルで発生する災害に対しては最近の新しい情報や技術の想定を超えてくる。」という所です。
ある意味で、科学により宗教の否定(飛躍していることは分かってます)がなされることもある現代において、自然の持つ「人間を超越する大きなチカラ」というものを現代人はイマイチ飲み込みにくくなっていると思うのです。
情報化で情報へのアクセスがしやすくなった現代は情報社会ともいわれます。社会の進化の過程ではSociety4.0から5.0へ移行中とされる現代において、たかだか数百年で築き上げてきた情報のスパンを大きく超えてくるのが自然災害です。Society1.0いや、人間が人間として存在する前からこの自然というものは世界そのものであり、あくまで人間は自然と共生する形で今この世界で全身全霊で生きていることを忘れてはいけません。
そんな私たちを現代まで繋ぐ過去の生命とのリンクはいたるところにあるはずです。今回は信仰と地名にフォーカスして「防災意識」として論じました。災害に対する日ごろからの意識というものはもちろんのこと、信仰や地名と言ったイマイチ防災とは直接つながらないものでも、昔から続く世界の「見方」を提供してくれる史料がそこにはあると思うのです。「過去とのリンクを探求する」といった活動は防災意識に限らず、私たちが全身全霊で今この世界に存在する為に必要なものなのかもしれません。

・結び/総括

If a natural disaster occurs now.
もし、自然災害が起きたら。
私は別に皆さんに神道的思想を強制し、教化活動をするために壇上に立ったわけではありません。
ただ、すぐそこにある「自然」という大きなエネルギーは人間を超越した存在であって、普段から畏怖の念を持ち、防災への備えをすることで怒れる自然からの被害を最小限に抑え、大きな枠組みでは環境破壊といったマイナスな自然への影響を無視することなく、自然には大きなチカラが宿っていることを認識しながら全身全霊で今を生きていけたらよいのだろうなと思うのです。

新海誠の「すずめの戸締り」では閉じ師とされる宗像草太が後ろ扉を締める際に「かけまくもかしこき~」と祝詞を奏上するシーンを覚えている人は多いのではないでしょうか。
実際神社で奏上される祝詞でも「かけまくもかしこき~」と始まることが多いです。このかけまくもかしこき、漢字にすると「掛けまくも畏き」となりおおよそ「声に出すのも畏れ多いですが、」といった意味とされます。それだけ神道の信仰では神に対して「畏れ」を強く意識します。
「畏怖」という言葉は、「畏れる」と「怖れる」の二文字からなります。「畏」という字は敬いのニュアンスの入る「おそれる」。「怖」という字は怖がるニュアンスの入る「おそれる」です。
自然の「恵み」と「災い」の二面性を考えながら、「もし」に備えた暮らしをしていきたいですね。

おわりに

五月杯で惨敗しなかったらこんな良い(自分的には凄く良かった)弁論は書けなかっただろうなと思うと、五月杯の惨敗もそろそろ呑み込めるのではないでしょうか私。(実はまだ未練タラタラ)

弁論原稿中でYouTubeにて公開されると述べている通り、土木学会様のYouTubeにて弁論動画が公開されています(土木学会様しごはやありがとうございます(泣))。
当日緊張して汗をかきすぎたせいで前髪が本当に終わっていて、ちょっとビジュアルは最悪なのですが、良かったら聞いてみてください。
▽リンクはこちら▽
https://www.youtube.com/watch?v=bEXCHxWdZGk&t=2s

今回、最優秀賞を頂き本当にうれしかったです。
次は学生弁論の大会でも優勝してやろうと思います。
結局10000字未満で抑えることが出来ましたが既に9000字あります。此処まで読んでくれた人本当にありがとうございます。
五月杯の時も思いましたが、私の弁論が誰かの弁論人生や、今回は「防災意識」にポジティヴな影響を与えることができていたらいいなぁと思います。
(五月杯の弁論見て、「声調参考にしてる」や「弁論への向き合い方が勉強になる」といった声を頂いてすごく嬉しかったのもアリ…)

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結びにはなりますが、主催の土木学会様、有馬優様、審査員の皆さま、各弁士の皆さま、土木杯事務局の皆さま、前日まで演練手伝ってくれた後輩や同期諸君に多大な御礼を申し上げさせていただきます。ありがとうございました!

それではまたどこかの大会で!

P.S. 新海誠大好きなので、好きな人いたら是非一緒に語りましょう。

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