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【映画】この世に要らないものは何もない!


うんこと死体は美しく、尊い



とある映画館のHPで、出会ってしまった。

他の映画を検索していたが、一目見て「行かなくちゃ/行きたい」という気持ちになった。どんな人が見に行くんだろうかと思いながら、舞台挨拶がある会を予約をした。電話口、謎に気恥ずかしくて、「◯日の10時からの会の予約をしたくて…」ともごもご。スタッフの人に「うんこと死体の復権ですね〜」と代わりに言わせる始末。そうして当日を迎え、初めて行く映画館。街の小さな1つのシアターにわらわらと多様な年代の人が集まる。

ここから先、うんこ発言多々。
まさかこんなに心動かされるとは。


🐭🐭


ひたすら「うんこ(野ぐそ)」と「死体」についての記録。どちらも汚い/見たくないもの、の代表格。最初は直視をためらう自分が居た。なのに、映画の最後、うんこと死体を見て泣いている自分がいた。(もちろん映画にモザイクは1つもない、無修正である。)

汚いものなんてこの世に一つもないんだな、無駄なものも何一つないんだなって、泣いた。当たり前のことを忘れて見てみぬふりをして、キレイなところだけを掬って見たくないものをどこかへ押し付けて生きているんだなって、泣けてきた。そして、映画に出てくる3人は通じて「生き物の循環」ー生まれて食べて排泄して死んでも次の命へつづくーことをつよく主張していた。作中で絵本作家の舘野鴻さんが「じぶんが死んでも何かの役に立つんだってホッとする」「ネズミがウジになっちゃった(死体が食べられ無くなり、別の生物に置き換わる)」という言葉に、ハッとした。人間もいきものだ。本来は土に、あらゆる命に還ることができる。


💩💩

うんこと死体を見ているうちに気づけばシアターには不思議な一体感が。一番盛り上がったのは、監督の関野さんが立派なうんこをした場面。(美しいに尽きる)

うんこの立派さを仲間に褒められ、本人は「今日は調子いいかも🎵」とご機嫌。
その姿に、ふふふ/わははとアチコチから笑い声。映画館は周りの人への配慮で静かにしなきゃって思ってたけど、しなやかで温かかった。自然な感情を抑えなくてもいいんだ〜って肩が緩んだ。現代人はやたら気張って生きているのかもしれない。トイレ以外でも。

糞土士伊沢さんと前田プロデューサー
「野糞の心得」


🚽🚽


人間だけが、自然の循環から外れているんだって思い知ってしまった。生き物は一つも無駄なものを作り出さない。ネズミが死に、その死体はあらゆる生き物のご馳走になります。排泄物を食べる虫や微生物がいます。
わたしたちが水洗トイレに流す糞尿はゴミとして焼却されている。燃やすにはお金がかかりエネルギーが必要です。ルートによっては他の生き物のご馳走になっているものを手間をかけて捨てている現実に歯痒く、同時に「野ぐそは…」とためらうじぶんがいる。文明に染められています。

わたしも循環の輪の中へ戻りたいとつよく思う。けれど実践(野ぐそ)はなかなか、ハードルが高い。映画と自分の折衷案として、まずは生ごみを減らして循環を生み出そうと決めた。「野菜の切れ端を水耕栽培」&「生ごみ堆肥プランター」をはじめることに。実践方法や結果については別の記事にて。

にんじんと大根、生きてます


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『うんこと死体の復権』はミニシアター限定上映映画とのことですが、多くの人に見てもらいたい!久しぶりに世界の見え方がひっくりかえる衝撃を受けた一作でした。


出会えた人は、ウンがいい!


「グレートジャーニー」で知られる探検家で医師でもある関野吉晴はアマゾン奥地の狩猟採集⺠との暮らしを通して、自然とヒトとの関係について考え続けてきた。そして、2015年から『地球永住計画』というプロジェクトを始める。この地球で私たちが生き続けていくためにはどうしたらいいかを考える場だ。関野はそこで3人の賢人に出会う。

野糞をすることに頑なにこだわり、半世紀に渡る野糞人生を送っている伊沢正名。
うんこから生き物と自然のリンクを考察する生態学者の高槻成紀。
そして、死体喰いの生き物たちを執拗に観察する絵本作家の舘野鴻 。

3人の活動を通して、現代生活において不潔なものとされるうんこ、無きモノにされがちな死体を見つめると、そこには無数の生き物たちが織りなす、世の中の常識を覆す「持続可能な未来」のヒントが隠されていた...。

映画「うんこと死体の復権」公式サイト


はからずもこの記事にめぐり逢った方、なんどもうんこと連呼して失礼しました。30才を過ぎてなかなか口にすることのない単語でしたので。小学生に戻った気分で自由に気張らず記事を書いたので。

よかったら、他の記事もどうぞ。<生き方>と<うまいお芋>のはなしです。


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