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「お城と歴史を語る」

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ゆうさいが大好きなお城や人物などの歴史をまとめてご紹介しています。 また主宰するお城や歴史に関するイベントなどについての語りも掲載してます。
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2021年7月の記事一覧

能登半島の激戦地「末森城」をご紹介(後編)

能登半島の激戦地「末森城」をご紹介(後編)

おはようございます、ゆうさいです。

今回は前編に続き、「末森城」の後編をお届けします。
前編をまだ読まれていない方は、ぜひこちらを先にご覧ください。

織田家の手に渡った「末森城」ですが、本能寺の変をきっかけに北陸の勢力図が一変することで、大きな転機を迎えます。

主君である織田信長(おだのぶなが)さんの弔い合戦「山崎の戦い」において、その主力として戦い勝利をおさめた羽柴秀吉さんが織田家中で一気

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能登半島の激戦の地「末森城」をご紹介(前編)

能登半島の激戦の地「末森城」をご紹介(前編)

こんばんは、ゆうさいです。

今回は、前回の七尾城に続き石川県能登半島にある城跡「末森城」をご紹介します。

この城の近くには、日本で唯一車で海岸の波打ち際を走ることができる道路「なぎさドライブウエイ」があります。
天気の良い日に車を走らせると、最高に気持ちいいので、ぜひ機会があれば末森城とセットで行ってみてください。

末森城はあまり聞いたことがないという方も多いお城だと思いますが、皆さんお馴染

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日本刀の名物「骨喰藤四郎(ほねばみとうしろう)」をご紹介

日本刀の名物「骨喰藤四郎(ほねばみとうしろう)」をご紹介

おはようございます、ゆうさいです。

この度、日本刀の名物「骨喰藤四郎(ほねばみとうしろう)」の実物を京都の豊国神社へ観に行ってきました。

皆さんにもぜひこの名刀を知っていただきたいので、今回はお城ではなくこの日本刀の特徴とその歴史ご紹介したいと思います。

まず、この刀の名前、面白ですよね。

名前の「骨喰(ほねばみ)」は、斬る真似をするだけで相手の骨まで砕いたとされた伝説からきており、「藤四

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名前の由来は「七つの尾根」!?能登半島の巨城、七尾城をご紹介(後編)

名前の由来は「七つの尾根」!?能登半島の巨城、七尾城をご紹介(後編)

おはようございます、ゆうさいです。

今回は、前回ご紹介した七尾城の後編をお届けします。
前編をまだお読みでない方は、こちちらを先にご覧ください。

1574年、城主の畠山義慶(はたけやまよしのり)さんが暗殺されるという下克上が平然と行われます。

この内乱を機に上杉謙信(うえすぎけんしん)さんがついに能登へ侵攻を開始。
その大義名分は、かつて畠山氏より人質として差し出されていた上条政繁(か

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名前の由来は「七つの尾根」!?能登半島の巨城、七尾城をご紹介(前編)

名前の由来は「七つの尾根」!?能登半島の巨城、七尾城をご紹介(前編)

こんにちは、ゆうさいです。

石川県能登半島にある巨大な連郭式の山城。
日本屈指の規模を誇る「七尾城」を今回はご紹介したいと思います。

七尾という名は、石動山系の先端にある「七つの尾根」(松尾・竹尾・梅尾・菊尾・亀尾・虎尾・龍尾)から由来されたといわれています。

室町時代の名門である三管領のひとつである畠山家。
その当主だった畠山基国(はたけやまもとくに)さんの次男、畠山満慶(はたけやまみつよ

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越前の天空の城、越前大野城をご紹介(後編)

越前の天空の城、越前大野城をご紹介(後編)

こんにちは、ゆうさいです。
今回も前編に引き続き、越前大野城をご紹介します。

前編をまだお読みでない方は、先にこちらをご覧ください。

「越前宰相」とよばれた当主でもある結城秀康(ゆうきひでやす)さんが死去した際に、越前大野城主でもあった土屋正明さんは殉死。
その子の忠次(ただつぐ)さんが跡を継ぎます。

しかしその2年後には同じく重臣であった小栗正高(おぐりまさたか)さんが大野城へ入城しまし

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越前の天空の城、越前大野城をご紹介(前編)

越前の天空の城、越前大野城をご紹介(前編)

こんにちは、ゆうさいです。
今回は、北陸街道から美濃街道の間に位置する大野盆地に築かれた城、越前大野城をご紹介したいと思います。

越前大野城がある場所は、現在の地名でいうと福井県大野市になります。

1575年9月に越前一向一揆を平定した織田信長は、家臣へ恩賞としての国割をおこなっていきました。
その中で、越前大野郡領の2/3にあたる3万石を金森長近(かなもりながちか)さんに、1/3を原長頼(は

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