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私が旅に出る理由

旅行が好き、というほどではないが、人並みには旅をしてきたと思う。

47都道府県はほとんど行っているし、海外にも何度かは足を運んでいる。

インドではそこにいる人のバイタリティーに圧倒されたし、オーストラリアのクラブではドキドキしながらビールを注文して、オーストラリアの人の元気さに驚きながら音楽を聴いた。

インドネシアの遺跡の中にあるホテルに泊まったり、台湾の怪しげな屋台で驚くほど美味しいものを食べたりと、それなりに旅を満喫してきてはいると思う。

ただ旅の中で、一番印象に残っているのは海外旅行ではない。
確かに海外では刺激を多く受けた。しかし一番印象に残っているかと言えばその限りではないのだ。

私の旅の中で最も印象に残っていて感動したところといえば、すぐに思い浮かぶのが秋田県の乳頭温泉である。

乳頭温泉の鶴の湯温泉郷というところに宿泊したことが一番印象深い。


もともと私は温泉好きで、さまざまな温泉に入り、温泉宿に泊まってきているのであるが、乳頭温泉の鶴の湯温泉郷では、それらとは全く質の違う体験ができた。

10年くらい前の話なので、今とは事情が違うところがあるとは思うが、当時私が乳頭温泉、鶴の湯温泉郷に行った感動というのは変わらないのでここに記しておきたい。

そこは秋田の山の奥にある。

最寄りの駅で電車を降り、宿からの迎えのバスで向かった。バスに乗り込むと次第に山奥に入っていき、こんなところにあるんだ、とあうような場所に鶴の湯温泉郷は存在した。

まず当時驚いたのは、携帯電話の電波が圏外になることである。10年前といえば、もう携帯電話はかなり普及していて、日本中の大体の場所で電波が入っていた。

最初は携帯電話の電波が入らなくてどうしよう、と思った。何か緊急の連絡などあったら困る。

また鶴の湯温泉郷の宿の部屋に通されたのだが、テレビがない。

だからそこにいる間は、ほぼ、世の中の出来事から隔絶されるのである。

しばらくは世間から置いていかれるのかと戸惑いはあった。情報から遮断されているという何とも心もとない思いがしたのである。

しかし、鶴の湯温泉郷を満喫するうちに、そんな気持ちはすぐに消えてなくなった。

それは言うまでもなく、そこが素晴らしいところだったからである。

まず露天風呂が良かった。季節は冬だったのだが、雪がちらつく中で乳白色のちょうど良い温度の湯の中に入るというのは、これまでに経験したことがない温泉体験だったのだ。

これほどいつまでも入っていられるという気持ちになれる温泉は他にはない。顔は冷たく身体は暖かいというのは露天風呂の特徴であるが、鶴の湯温泉郷のそれは他の露天風呂のかなり上をいく心地よさだった。

露天風呂は混浴なのだが、それを恥ずかしいと思う余白がないほど、鶴の湯温泉郷の乳白色の温泉の気持ちが良すぎた。

冬の秋田の山奥の気温は相当低かったが、温泉を出た後も身体がポカポカ暖かかった。


これが温泉の効用かと、改めて日本人が昔から湯治をする理由が実感できた。

そしてさらに感動したのが食事である。
温泉宿にありがちな、お刺身、天ぷらなどの一見豪華な食事が出てくるわけでは決してない。

囲炉裏を囲む席に案内され、地元で採れたものや、地元特有の料理を食べることができる。

特に芋の子汁という料理は絶品で、見たことのないようなキノコが入っていて、普段食べるものより味と風味が濃い気がした。

川魚焼きも骨まで食べられてとても美味しかった。

私はここで温泉に入り、食事を食べて気付いたのだが、鶴の湯温泉郷にはその土地にあるものが確実にあり、いらないものはないということである。

携帯電話やテレビはここには必要はない。

なぜなら素晴らしい温泉とその土地で採れるもので作った美味しい料理があるから。

それだけで十分満足であるし、ここに来た価値がある。
温泉に入り、食事をした後は部屋でゆっくり妻と話すこともできた。

普段は仕事や生活におわれ忙しくてそんな時間はなかなか取れないし、お互いのほんの僅かな休憩時間はお互いにネットやテレビを見たりしていたので会話をしようとすることがほとんどなかった。

しかしここにはネットやテレビがなく、暖かい温泉と美味しい食事をした後の満ち足りた気持ちで、穏やかに話すことができる。

こんな贅沢なことはそうそうないなと思った。

私は普段はかなりお酒を飲まないと眠れないし、寝つきも悪く夜中に何度も起きてしまうのであるが、この日は晩酌もそこそこにぐっすりと眠ることができた。

そこには日常生活では得難い充実感があった。

これぞ「足るを知る」ということだと知った経験である。

いかに普段は必要のないものを得てしまっているかということがこの旅で分かった。余計なものや刺激が多すぎる日々のことを、反省すらしたほどだ。

鶴の湯温泉郷に来て、その土地にあった良いものがありそれを享受できれば、十分に豊かであり満足できるということが理解できたのである。

新しい刺激や面白い経験をたくさんする旅も魅力的ではあるが、そこにしかないものをじっくりと堪能することも旅の醍醐味なのだと気付かされた鶴の湯温泉郷であった。

日常の過剰さに疲れている多くの人に、ぜひ行ってみてほしい場所であると私は思っている。

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