同じ空をみている
娘が4月から小学校の1年生になった。
子どもの成長は早い。
つい最近まで、赤ちゃんだと思っていたのに、最近は「パパはあっちにいって」などと生意気なことをたくさん言うくらい成長した。
娘は弟(年中)に意地悪をすることはあるが、優しく面倒を見ることも多くなり、お姉さんになってきたなと感心する。
娘が「パパだっこ」と言って、私のそばを離れなかった2歳くらいのころが懐かしいが、小学校で懸命に頑張っていると思うと、よく育ってくれたなと感謝の気持ちでいっぱいである。
そんな中で、小学校に入って宿題が毎日出るようになった。文字の書き取りや、計算問題などがある。
そして、国語の教科書の音読の宿題もあり、私も音読って昔やったなと感慨深く聞いていた。
先日は「くじらぐも」という話の音読が宿題だった。
これは私が小学校1年生だった頃から教科書に載っていた話であり覚えていた。
私も自分の母の前で「くじらぐも」を宿題として音読したことを思い出した。
小学校1年生といえばかなり前の話ではあるが、娘が音読しているのを聞いたらその頃の気持ちが溢れてきてなんとも言えない気持ちになってしまった。
世の中の人の中には、学校教育についてはいろんな意見があると思うし、私も嫌なことはいっぱい経験したが、国語の授業だけは大好きだった。
私にって物語とは、自分が悩んだり辛かったりする世界から逃れられる世界を提示してくれるから心地よかった。
「くじらぐも」そんな物語の機能を、最初に教えてくれた話だと思っている。
そんな思い入れがある物語を自分の娘が音読していると、なんとも不思議な気持ちになってくるのだ。
娘は「くじらぐも」を読んでどんなことを考えているのだろう。
想像もつかない。
息子(年中)はくじらぐもを娘が音読しているのを聞いて「くもにのりたーい!」と無邪気に言っていた。
ただ、人生とは雲に乗れるようなハッピーなことばかりではないし、物語の世界に逃げられることばかりでもない。
世の中とはほんとにたくさんつらいことがある。
自分の子どもにはそれを受け入れて、乗り越えて逞しく生きてほしいなと思っている。
でも今だけは、子どもが幼い今のうちにだけは、一緒に空を見上げてくじらぐもを見つけたい。
そして時がたち、私と子どもが遠くに暮らすようになったとしても、見上げる空は同じだということは私は忘れないし、子どもたちもそう思って生きてくれたら幸せだ。
おしまい