適応障害・休職中おじさんの子育て 5
こんにちは。引き続き書いてみます。この記事は自分のための記録であり、乱筆乱文になる可能性が高いです。
35歳妻子持ち男性です。現在適応障害にて2020年10月初旬より休職をしています。
一つ前の記事はこちらです。
今日は急に始まった二歳の息子との生活を書いてみます。
まず初めに、いつも息子が着ている洋服がどこにどんなものがしまってあるのかを知りませんでした。妻が居ることが当たり前。妻に甘えていたと心から反省しました。妻が入院する前日に初めて知りました。妻は自分の体がつらい中、これから始まる父と子の二人の生活のために分かりやすく教えてくれて、少し洋服の整理もしてくれました。
そして入院当日の朝、妻を病院へ送っていくため、荷物を積んで子供も一緒に。入院当日の出発前は妻と私で肩を抱いて声を出して泣きました。それぞれがこれから先の不安を感じたからです。妻は入院中生活についてと今まで離れたことのない子供への愛情のため。私は自分が適応障害で休職している中での急な子供との二人の生活と妻と離れることに対して。
いざ、病院につきました。その時私は2歳の息子の目をよく見て、「かあちゃんはこれから病院で痛い痛いを治すんだよ。だからここでバイバイね。」と伝えました。うちの2歳の息子はまだおしゃべりをしないので伝わるかどうか心配でしたが、目を見て話したことで息子なりに理解したようです。かあちゃんがんばってね!バイバイね!と言い、その場を離れます。その時息子も「バイバーイ」と手を振っていました。帰りの車の中で私は嗚咽を押えることが出来ませんでした。強い不安にかられたからです。通院し始める前あたりから会社に行くとき、玄関のドアを開けると強い嗚咽がありました。心療内科の先生からはそれは、体が自分に投げかけているストレスのサインだと教えてもらいました。それと同じことが起こったのです。
入院初日の午後、子供と家につき、いつもならお昼ご飯を食べた後昼寝をしますが、その日はしませんでした。おそらく父の不安な気持ちが子供に伝わったのだと思います。仕方ないので少しお散歩したり、テレビを見たり、おもちゃで遊んだりいろいろと気を紛らわせることにしました。
次の日は土曜日でした。平日であれば母親は子供を子育て支援センター(町が無料で遊び場を提供してくれる場所)へ連れて行ってくれていました。土日は晴れていれば近所の公園に連れて行ってくれていました。それに習い、土曜日は公園に行ってみました。お友達に会うことができ、そのお母さんたちに妻の入院を伝え、同時にそこから一か月は仕事を休むことにしたと伝えました。休職を伝えるより、妻が入院したため子供を見るために休んだということにしたのです。周りの方々にすべて事実を伝えなくてもいいと思ったからです。子供との生活は驚きばかりです。今まで一緒に公園に行ったことはあっても、二人で来たことはありません。妻が居て、子供が居て、自分が居るという感じでした。二人でどう過ごせばいいのかがわからないのです。子供のお友達のままにとても助けていただけました。翌日の日曜日も同じく公園に行くとまた違うお友達に会え、そこでもサポートしてもらえました。これは妻が今まで関係性を作ってくれたからだと、とてもありがたく思えました。
題名に少し触れましたが、今度は平日の事を書きたいと思います。もしも読んでくださった方がいらっしゃいましたら、最後までお読みいただきありがとうございました。