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過去のトラウマと現在の彼氏

これまで誰にも話したことがなかった私の家族の話をします。

私は自分の家族が本当にコンプレックスで、友人間でも家族の話になるといつも適当に流して、兄弟や親のことについては話したことは一度も無かった。それくらいコンプレックスで、トラウマだった。

誰にも言えなかったことなのに、誰もが見られるネットで自分の家族のことを曝け出すのはとても不思議な感じがする。

何から書けばいいか。多分長くなる。でも分けて投稿する気にもなれないから。


父は酒に溺れた宇宙人。外面はよく、社会的には決して揉め事などを起こす人間ではない。外では借りてきた猫のように大人しいとよく母方の祖母は言った。でも家庭の中に入ってしまうと、毎日記憶を無くすまで酒を飲み、大声で母を罵倒し時には私たち子供へも罵詈雑言を吐く。そして朝になれば人が変わったように、平気な顔をして仕事へ行く、という人間だった。物心のついた時から、私は父とまともに話した記憶はない。そもそも父とは会話という会話が出来なかった。いつも高圧的だったし、自分が全て正しいので自分と少しでも違う意見や考え方は彼の辞書にはないのである。

仕事でストレスのかかることがあったり、私たち子供のことでうまくいかないことがあったり、母親の言動が気に入らないことがあったりすると、大量に酒を飲んで暴れ回った。近くにあった扇風機を床に思いっきり叩きつけて、扇風機を破壊した。床には大きな窪みができた。ダイニングテーブルにあった皿を全て割り、床には割れた皿の破片が散らばった。目の前にあった椅子を思いっきり蹴って、本棚にぶつかり本棚のガラス窓が割れ、木製の椅子は壊れた。ドアを思いっきり閉めて、ドアは壊れた。

次の日の朝は何ごともなかったように起きてきて、そしてまた仕事に行った。割れた皿と粉砕した扇風機、そのほかの被害の残骸を兄弟三人と母の四人で片付けた。そんな毎日が当たり前だった。

母はただ耐えるだけだった。口答えなんてしようものなら、物が飛んでくるし、直接的に手が出ることはなかったけれど、きっと母もそれを恐れていたからだと思う。

誰も父に寄り付かなくなったけれど、父はそれもよく思っていなかった。家族四人で楽しそうに話していると、不貞腐れて物を投げ、皿を割り、怒鳴った。「僕とは誰も話さないね。まあ別にいいけど。好きにしろよ」と言ってそこから罵詈雑言が洪水のように降り注いだ。

どうしてこんな人と結婚して私たちを産んだのかと、母までもを責めた。子供たち三人で泣きながら離婚してくれと母に懇願したこともある。

しかし、母が離婚の話を持ち出そうものなら、ブチ切れた。まともな会話すらできない中で、私たち家族は常に父の顔色を伺いながら生活するしかなかった。24時間365日我が家では張り詰めた空気がいつも流れていた。

彼氏のアスペルガーを疑い、関連するブログや書籍を読み漁る中で、夫と会話が成り立たず、暴力とモラハラに耐えながら疲弊していく妻たちの悲痛な書き込みを目にするたび、うちの家庭で起こっていることと同じで、書き込みをしている妻の気持ちをよく理解できた。

この時、初めて父がASD (自閉スペクトラム症)であると確信した。
掲示板やブログで悲痛な声を漏らし、疲弊しきったカサンドラな妻たちと同様に、私自身も父のASDの特性に苦しめられた一人の人間なのだと知った。

高校生の頃から原因不明の頭痛と不眠に悩まされた。神経内科、脳外科、さまざまな科を渡り歩いたけれど、結局原因は不明なままだった。今思うとカサンドラ症候群だったのかもしれないと思う。その後私は大学生になり、親元を離れると頭痛や不眠は改善したが、入れ替わるように摂食障害になった。それから7〜8年はこの病気と戦った。これもこれで地獄だった。


つい先日、私は母に彼氏がアスペルガーの特性があることについて相談した。そして父の話にもなった。母は父がASDであることを分かっていた。母は私たちには決して言うことはなかったし、精神を病むこともなかった。「最終的にはあなたが決めることだけど、こういう人と生活を共にするということは、あなたが思っている以上に苦しいわ。あなたがあなたではなくなっていくの。私はね、あなたにはあなたらしく生きていて欲しい。それが私の願いよ」と言った。

祖母(母方の)が昔、私に言ったことがある。「あなたたちが小さい頃、あなたのお母さんはよく頑張っていたんだよ。小さい弟二人を前後に抱っこ紐で抱えて、Shirleyは近くでずっと泣いていた。泣き喚くShirleyに構いながらも洗濯物を干して、夕飯の準備・片付けをしてって全部一人でやってた。自分も明日は早くから仕事があるのに。でも横では平気な顔で酒を飲みながらテレビを見て爆笑してる父がいて、そんな光景を見ながら、本当に涙が出そうになったのよ」と。よく想像できる。うちの家庭は共働きだったが父は一切家事はしなかった。


母はよくやったと思う。本当に。本当に強い。自慢の母である。


父の「自分の考えていることは常に正しく、物事がうまくいかないのは、周囲が悪いせい」という考え方、これはASD の「自分の世界」というものが絶対的であると思い込む特性によるものだと知った。

また弟二人を前後に抱えて、泣き喚く私の相手をしつつも洗濯物を干している母がいても、なんとも思わないのもASDの特性である。空気なんて読めない。母が困っているなどと微塵も思わないし、思えないのだ。そういう脳の構造だ。

母は父がASDの傾向があることを結婚するまで気づかなかった、という。違和感もなかったという。それもこの発達障害というものの特性だと今では理解した。よく発達障害の人が言っているのは、スイッチのオンとオフがあるというもの。彼らは、社会的な場ではスイッチをオンにしているという。しかし、自分のもの、自分の家庭となると、彼らにとってそれはスイッチをオフできる場所となるのだ。

発達障害の人たちは定型発達の人(いわゆる普通の人)よりも、社会生活で感じるストレスがとても大きいため、家に帰るとスイッチをオフにして、一人で自分の世界に入り、充電しなければならない。でも家に帰ったら、子供は泣き喚き、妻も思うようには動いてくれない。それどころか、結婚生活というものをやらなければならない。一人の生活が二人・三人・四人と増えていく。一人だったら別にやらなくてもよかった家事・育児もやらなければならない。そうなると、さらにストレスは肥大化する。予期せぬ事態も頻発する。そんな時に妻に気に食わない言動をされようもんなら、もうおそらく自身でも制御不可能なほどのストレスとなるのだろう。その結果、癇癪という形で表出され、物を投げたり、罵倒したりしてしまうのだろう。理解できる。

でも、物を投げつけ、酒を飲み、大声で人格否定され続けても「発達障害だから、それは障害のせいでわざとではないから仕方がない」では片付けられないし、最近流行りの「多様性の社会。こういう人もいる」なんていう生優しいものでも片付けられない。そんな心の余裕は私たちにはない。やり場のない不満や怒りも、お経のように毎日罵詈雑言を聞いていると、やがて怒る気力も無く、諦め、そしていつしか感情とかそういうもの全てを自分の中から手放さなければならなくなる。そうしなければ、やっていけないのだ。
文字通り、やっていけないのだ。
もうどうしようもないのだ。
あの父と分かり合える人なんて到底いない。とは言っても、夫婦なんだから、少しくらい話し合えばと思うだろう。これは経験した人にしか分からない。本当に話が通じないのだ。暖簾に腕押し。どんなに丁寧に説明したり、相手を庇いながら意見を述べたりしても、庇いながら説明しているというこちらの意図を汲み取ることもできなければ、言っていることすら理解してはもらえないのである。この苦痛とストレスは経験しなければ分からない。
きっと母は私が想像しうる以上に苦しんだと思う。母の苦労を思うと、涙が出てくる。

彼氏を選ぶということは、父のいる生活をもう一度繰り返し、そしてもし子供なんてできようものなら、同じ思いを子供にもさせることになるのかもしれない。もちろん、発達障害といっても、皆が皆父のような訳ではない。彼が父と同じようになるかどうかは正直分からない。でもこのトラウマをもう一度経験する可能性があると思うと怖くてたまらない。

同時に、私が選ぶ人というのは、どうしてもこういう発達障害的な傾向のある人を選んでしまう。日本で付き合っていた人も今考えると思い当たる節はいくつかある。彼もいつも自分のことが最優先で、雑談ができなかった。冗談は通じず、否定されることを極度に嫌がった。つまり、わたし自身にも問題があるのだ。
あれほど父を憎み、親子という縁を切りたいと切望するほど嫌悪し、母を反面教師にしながらも、私はまた父のような人を選んでしまっているのだ。無意識的に。
むしろ父のような人ではないことを注意深く観察していたつもりだった。それは母の二の舞にならないようにするため、二度とあのトラウマを経験しないようにするため。それでも、できないのである。私の思考では、私の感覚では限界があるのだ。私の感覚では見抜けない。それどころか、そういう人を自ら選んでしまっているのだ。絶望的である。私の求める幸せを、私は自分の手で破壊している。それも無意識に。

彼と別れるとする。新しい人を探すとする。きっとまた同じような人に惹かれる。次は母のように、出会った時には分からないかもしれない。外面は良くて、実際に付き合ってみて、一緒になってみて、出産してみて、彼氏よりも父よりも酷い人に豹変するかもしれない。自分を、自分の感覚をもう信用できない。

彼氏との日々は幸せなはずだった。確かにトンチンカンなことを言い出すこともあったけれど、毎日幸せで、満たされていた。でも今はこの幸せな日々は後に地獄へと繋がる道なのかもしれないと思うと、やっと見つけたと思っていた幸せも今では、とてつもない恐怖と絶望感に変わってしまった。どんな選択をしようともあのトラウマが付いて回る。
私の未来には幸せとか、希望なんてものは存在しないのかもしれないと心底思う。

もう分からない。自分のことも。父のことも。彼氏のことも。他の誰かのことも。


私の父はどんなに嫌でも、あの意思疎通のできない宇宙人で、変わることはない。
皮肉なことに、過去のトラウマは、現在の彼氏を選び、そしてそれは宇宙人のように理解不能だった父を理解することに繋がった。物事を理解するというのは時に残酷なこともある。正直、分からなければよかったと思わないこともない。幸せだった日々がある日を境に絶望と恐怖に変わってしまったのだから。

私は今、活路の見出せない暗闇で一人立ち止まっている。どうすればよいのか分からない。歩き出した先には不幸しか待ち受けてないような気がしているから、怖くて歩き始めることもできない。

でも私の過去のトラウマは、現在の私に、未来の人生を選択するためのコンパスを一つくれた。今の私に必要なものは、このコンパスが私の未来の幸せのためのものであると強く強く信じる勇気である。

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