見えない富士見山
富士見山と名付けられた小高い丘に登った。江戸時代の人が富士山を見た場所だ。ざっくり言うとそこは徳川家のお庭だったらしい。富士山の方向を見ると、ビルディング。いやまぁそうだよね〜。
別にビルが立つことを悪だとは思わないし、景観を気にして建設に反対する気持ちは私にはない。けど、なんか残念だった。富士山見えるのかなと期待をして小高い丘を登ったのに、報酬が無かった。無駄な運動だった。その時ばっかりは、ビルに対してなんて無粋なんだ!と憤ってしまった。昔の人はここから富士山を見ていたのか、と思いを馳せるやつやりたかったのに。もしあの世があるなら、今は見えないんすよーと徳川家に伝えよう。どう思うのかな。
もちろん、「富士見」という文字列を使った地名で、今でも富士山が見える場所はある。でも、多分もう見れなくなっている所はここだけじゃないと思う。もういっそ「ビル見山」とかに改名してくれ。いやでも、「富士見」を使っているからこそ、昔はここから見えたのか〜!という手がかりになる。これはこれで楽しいかも。
私は富士山が見える地域の生まれではないので、あまり馴染みが無かったけど、関東で過ごすようになってからは、色んな場所で富士山を見る。富士見と名前がない場所でも、スカイツリーみたいに高い場所からはもちろん、電車の中から、散歩しながら、ドライブしながらなど。
山梨の方まで行くと、当然だけど見える。しかもとっても大きい。圧巻である。どこに載せるでもないけど、行くと毎回富士山だ〜!と写真を撮ってしまう。
東京の方では、晴れてる日にしか見れなかったりするから、見つけると結構嬉しくなる。みんなに愛される理由も、日本一の高さというだけではないのだと感じる。
そういう富士山の刷り込みがあるから、見えない時の残念な度合いが高まるのだろうか。ビルが無かった時代の景色も見てみたかったな。
この場所での出来事に限らず、昔の景色を見ることも、故人がそこで何を思ったのかを知ることも出来ない。写真や絵、手記も、完全に同じではないけど手がかりにはなる。どこかにそんな資料ないかなー。
振り返ると、そこは徳川家のお庭が一望できる景色があった。当時の資料を元に再現された建物も見事で、お庭も管理者を変えながら今でも守られている。
こっちは、昔の人が見ていた景色に近いかもしれない。向こうにビル群あるけど、、、。
とっても立派な樹木が多い。長い間ここに根付いているのが分かる。当時からあったとされる300年の松もある。これらは当時では見れなかった形だろう。徳川家の人はこの松みたらどう思うかな。
もう見れない景色はあるけど、今しか見れない景色もある。私は今見れるものを楽しむしかない。でも富士山はきっと、どっちも見ているんじゃないかな。地球って長生きだな〜。