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豊かな人生とは

海辺を散歩する時間が長ければ長いほど、人生は豊かになる。そう思う。

自分は海辺に住んでいない。
旅行などで重い腰をあげなければ、海を見ることはない。

私にとって海辺を散歩することは、近所を散歩する時間とも違う。

近所を散歩したりランニングするのは、メンタルをリフレッシュさせる為であって、趣味ではない。食事や睡眠みたいなもので、生活を続けていくために必要な行為である。村上龍が無趣味のすすめで、定期的にプールで泳いでいるけど趣味じゃないみたいなことを書いていたのを読んだ時は、この人はなんて屁理屈なんだと思ったけれど、今ならわかる。こういうのは人生のバランスを取るための行為だ。

趣味はある。ラジオを聞くこと、好きなアーティストの音楽を聴くこと、ライブに行ったりすること、カフェ巡りをすること、本を読むこと、植物園に行くこと
でもこれらは、現実を生きていくために必要な現実逃避のようなもの。日常を生きるには、非日常が必要だ。
生きていたくない世界で生きるために必要な、栄養補給だ。つまり、これらをしないとバランスが取れない。採算が合わなくなる。

海辺を歩くのは、生活のために必要な行為でも、趣味とも違う。
余暇なんて言葉あるけど、それに近い。
余白を過ごす時間だ。
必要ないけど、なんかいいと思うこと。これが私にとって海辺の散歩。
やることがないときに、やらなくていいことをする時間。
旅行に行ったときだって、観光地や行きたかった場所に行ったり、したかったアクティビティをしたりして、なんだかんだ時間は経っていく。民宿に引きこもって本を読むために旅行に行くことはあっても、海辺を散歩しに行くことを目的に旅行に行くことは無い。それを目的に旅行行ったらそれはそれで楽しそうだけど。
本当にやることが無くなって、船に乗る時間まで持て余したとき、やっと海辺を散歩をする。
揺れる波を見ながら、ぼうっと歩く。
YouTubeを見てだらだらと過ぎる時間とも違う、過ごしているという意識のある時間。何も生み出していないことは変わりないのに、海辺の散歩は豊かな感じがする。

豊かな人生とお金は関係ないとも、豊かな人生はお金だとも言わない。関係ない人生もあるだろうし、豊かになる人生もあるだろう。知識もそう、知識が沢山あることで豊かになる人生も、知らないことで豊かでいられる人生もあるだろう。

海辺を散歩すること、季節の花の香りを知っていること、読みもしない本を積んでおくこと、仕事や今後の人生に全く関係なく何の役にも立たない勉強をしてみること、、、こんなどうしようも無い時間があればあるだけ、私の人生は豊かになると思う。手に入れるにはきっと、お金も知恵も少しの根性も必要だ。

他にはどんな余白が人生を豊かにするだろうか。豊かだと感じる時間は、どんな時ですか




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