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『爪王』『俵星玄蕃』

十二月大歌舞伎 第二部 <白梅の芝居見物記>

 爪王

 30分と上演時間は短いものの大変見応えのある舞踊劇でした。
 特に、心技体とも充実し硬軟をうまく使い分けつつ、非常に丁寧にしかも大胆に、変幻自在に芝居として”狐”を造形してい中村勘九郎丈の舞台は圧巻でした。
 身体能力の高さだけではなく、その隅々にまで行き届いた表現力が歌舞伎役者としての矜持とも言えるでしょう。時分の花だけではないという、歌舞伎や歌舞伎座に対する愛やリスペクトを感じさせる舞台であり、観客としても誇らしく思える一幕でした。

 一方、中村七之助丈の鷹ですが、決して悪いとまではいいたくありません。ただ、お兄様と比べると後塵を拝している感は否めません。
 今後の期待と言う点で、少し感想を述べたいと思います。
 七之助丈の魅力が発揮された舞台として、私が強く印象に残っているのは、『阿弖流為』(2015年7月)の立烏帽子、『マハーバーラタ戦記』(2017年10月)の鶴妖朶王女、『風の谷のナウシカ』(2019年12月)クシャナなどです。美しさの上に、女優では決して出すことの出来ない身体の切れや強さのある役柄が魅力的で存在感を発揮してきました。

 ただ、今回お兄様と比べると、女形として、また役者としての踊りという点で、その表現にかえって不満が残ってしまいました。女形としての踊りで堪能させつつ、舞踊劇としてももっと貪欲にその役柄としての表現を深めていってもいいのではないか。
 観客として、貪欲過ぎるかもしれませんが‥
 今後への期待として、書かせて頂きました。

 俵星玄蕃

 『荒川十太夫』の完成度があまりにも高かったからでしょうか、「講談」を歌舞伎にすることの難しさを感じさせる作品となっていたのは、否めません。
 今月、第一部や第三部のような歌舞伎の方向性とは違う、尾上松緑丈ならではの目指す作品にしていく上で、多くの課題が浮かび上がってきたのが、収穫といえば収穫であると言えるのではないか。
 そんなことを考えさせられる作品でした。
 これからの期待と言う点で、感じたことを書かせて頂きたいと思います。

 SNSで、前半はつまらないが後半に見応えがあったというような感想がありました。
 観客へのサービスとして、派手な立回りで見せ場を作っていることに関しては、賛否両論あるでしょう。
 今の観客にとって、十一段目なしの『忠臣蔵』はあり得ないことを思えば、それに重きを置かざるを得ないのは、この俵星玄蕃の観客の反応をみれば、明らかです。芝居として上演するのだから、芝居ならではの場面で魅せるのもひとつの行き方だとは思います。

 しかし、松緑丈自体、この作品の「講談」としての魅力をどこに感じたのか。おそらく、それは、人間、玄蕃としての空疎な思いや迷い、それでも信じたいと思える生き方を追い求めたいともがく葛藤に、共鳴するところがあったのではないではないか。そのように推察します。講談の俵星玄蕃を聞いたことがない私が言うのも、どうかと思われますが‥
 そうした魅力を目指していたことは、十分伝わる舞台であったことは確かです。

 ただ、やはり惜しいことに、講談を立体化する場合、講談に頼りすぎ、それを再現しようとすると、今回のように不完全とも言える作品になってしまうようにも思われました。
 話芸ならではの面白さは話芸におまかせすべきでだと思います。
 何を最も表現したいのか。それがあって初めて講談を芝居にする道筋が見えてくるのではないか、と私には思えました。
 時に否応なく芝居ならではの書替えが必要になる時もあるのではないか。

 今回は、説明的な蕎麦屋の場面にこだわりすぎたところが却ってこの作品の趣旨を散漫なものにしているように感じられました。
 その場面に味わいを見せていた役者の方々にはお気の毒ではありますが‥
 もっと違う見せ方があったのではないか‥
 また、蕎麦屋からの場面転換で、敵方の隠密が探っているのかしらと思わせるような人物を一人、二人と配していましたが、終わってみれば、ただの通行人だったようでびっくりもしました。
 とっても思わせぶりに存在(?)していましたので‥。

 この作品の見せ場は、もちろん玄蕃と杉野の対話にあるべきなのでしょう。ただ、脚本にだけ頼り切れない弱さがある上、松緑丈も坂東亀蔵丈も直線的な芸風で、二人のやり取りのみで面白さを持たせるには、残念ながら、まだかなりの距離があるようにも思われます。

 江戸における弟子は、玄蕃にとっては武芸を志す者としては食い足りない存在ばかりであったでしょう。元禄という時代の世相をよく表してもいます。
 そんな中で、ただ者ではない雰囲気や腕前、筋目の正しさを感じさせ、玄蕃に一目置かれている存在の杉野として、一見、亀蔵丈はうってつけのようにも感じられますが‥。残念ながらまだ、抜擢に応えるには実力不足の感は否めません。世話物を得意とする菊五郎劇団として、もっと講談や落語など工夫の種にされたらと‥
 またまた、老婆心が出てしまいました‥

 『荒川十太夫』は、真山作品のような味わいがありましたが、『俵星玄蕃』は、世話物的味わいの作品で、よくなる余地はまだまだあるように思いました。今後の同作のブラッシュアップ、また、新作への取り組みに期待したいと思います。
                        2023.12.13

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