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『於染久松色読販』『神田祭』『四季』

辰 四月大歌舞伎 夜 <白梅の芝居見物記>

 於染久松色読販売 土手のお六・鬼門の喜兵衛

 芝居そのものの評に関しては、「今月の芝居ー渡辺保の歌舞伎劇評」を是非参考にして頂きたいと思います。私自身、大変多くを学ばせていただきました。
 と、それだけではあまりに安易かと、南北作品に関して最近感じていることを少しだけ書いてみたいと思います。

 本作が1970年代の第二次鶴屋南北ブームの流れの中で復活されたこと、第二次のブームがどのような背景の中で起こってきたのかは、山本吉之助氏が令和3年2月の上演時に書かれていた<南北の感触は何処に~「於染久松色読販」>の所感によくあらわれているように思われますので、それを参照していただけたらと思います。

 私が歌舞伎を見始めた1980年代において、南北作品は吉右衛門劇団系が、黙阿弥作品は菊五郎劇団系が得意とする演目であるという評価がされていたのではないかと思います。記憶に誤りがなければ‥。
 演劇史的にどういった流れの中でそうなっていったかということを考えることにも意味があるかとは思いますが、今は深く立ち入ることはしません。
 ただ、一観客として見物している芝居に関して、私自身が南北系と黙阿弥系の演目としての色合いの違いを見いだし、それぞれの劇団系にどういった演目にそれぞれの強みがあるのかを肌で感じていたことは確かであり、一つの基準として私の記憶に刻み込まれていたことも確かです。

 そうした基準があったなかで、昨今の見物において当時の南北的な肌合いといものの記憶が呼びさまされたのが、2021年9月尾上松緑丈の直助権兵衛を拝見した時で、自分自身少し戸惑いを覚えたのを思い出します。
 一方、尾上菊五郎丈所演の黙阿弥物の代表作を拝見していた時には感じていた菊五郎劇団ならではの黙阿弥物としての味わいや色合いを、次世代の役者に感じることがあまりなくなっていることに気づき、やはり戸惑いを覚えていました。

 今の歌舞伎界にあって、劇団ごとの強みというくくり方はあまり意味をなさなくなってきているようにも思われます。
 ただそのことによって、歌舞伎の古典性が損なわれているように感じるかと言えば、またそれも違うように思われます。
 今の歌舞伎役者の肉体を通した古典性は、その時代の空気を取り入れ変化し、役者それぞれの個性を発揮しながら、確かに綿々と受け継がれていることを感じるのです。

 それが南北物とか黙阿弥物とか、それ以外の義太夫狂言や新歌舞伎においても、そうした演目のジャンルを越えて、役者がその身に付けてきた”芸”にこそ古典性が宿ることを、この頃は強く実感させられます。

 亡くなられた吉右衛門丈が演じていた『時今也桔梗旗揚』を南北作品だということをすっかりわすれて、義太夫狂言を拝見しているかの如く見物していたことを思い出します。
 その時は自分の見物としての見る目のなさに愕然としたものですが‥。

 歌舞伎役者が文楽の太夫のように台詞を言うものではない等々‥、昔から歌舞伎役者が歌舞伎以外から習得したものをそのまま歌舞伎に持ち込んで演じることに否定的だったことは芸談や見物の評価などから私は知ったと記憶しています。
 どんなところから役者としての技術を習得しヒントを得ても、それを消化し歌舞伎役者の芸としてそれぞれの役者の中で昇華させていくことが、昔から求められていたのだと思います。

 今の片岡仁左衛門丈や坂東玉三郎丈の芸境が、まさにそれを表していると言えるのだと思います。

 通称「お染の七役」とよばれる本作ですが、今回も、お染のくだりを省き副題が示すと通り、悪婆としてのお六と手強い悪党の喜兵衛の莨屋と油屋の見せ場を中心に、その前に柳島の妙見を付けてすっきりとコンパクトにまとめられての上演です。
 喜兵衛の悪党としての手強さ存在感の大きさが一番の見所。迫力のある台詞と渋い悪党ぶりがひときは魅力的です。お六の悪婆としての色と愛嬌ともども、短いながら満足感が得られる充実ぶりです。
 強請に失敗して籠を二人でかついでの花道の引っ込みは、理屈ぬきの面白さや味わいで、お二人の存在感により南北作品としての本質も決してそこなわれていないと私には思えます。

 中村福之助丈の髪結の亀吉がすっきりとした江戸前の味わいが出てきたのが成長を感じさせました。
 市村橘太郎丈の久作が非常にいい味わいを出しておられました。
 中村錦之助丈の清兵衛は、若々しいのがこの丈の魅力ではあるのですが‥、大きな存在感の二人の悪党を向こうに回してその鼻っ柱をくじく役どころとしては、その芯にもう少し逞しい手強さをしのばせて相対して頂けたらという欲も観客としては出てしまいます。

 番頭善六の片岡千次郎丈、丁稚久太の尾上松三丈、こうした役どころは古典作品にはこれからますます重要になってくるように私は思います。脇といえども役者の腕の見せ所です。より一層の研鑽を期待したいと思います。

 神田祭

 神田祭は、日枝の山王祭り深川の八幡宮の祭礼とならぶ「江戸三大祭」の一つです。
 また、江戸時代は山王祭と並び「天下祭」とも称され、両者とも江戸城を守護する神社として徳川将軍家からも崇敬され、山車が江戸城に入って将軍に拝謁することさえ許されていました。
 
 江戸三大祭に何故、「三社祭」が入っていないのか。
 何故、山王祭と神田祭が「天下祭」とされたのか。
 それは歌舞伎の持つ歴史にも深く関わる、ということだけここでは指摘するにとどめます。そうした能書きを全く必要としない、それでいて江戸時代にどれだけ神田祭が華やかでいなせな江戸庶民の祭りであったかを実感させて下さる、生きた芸術作品としての仁左衛門丈と玉三郎丈の舞台!

 ただ若々しくて美しく絵になるというだけではない。
 踊りとしての味わいの深さ、役者だからこその生きた人物としての描き方、からみにトンボを返させるイキの間のよさ。
 単に年齢が若く容姿が美しいというだけでは決して出てこない古典的肉体の芸境。
 本当にいいものは言葉や文化を越えて観客を魅了するものだということを、周りの観客の反応からも実感させられます。
 わずか20分ではありますが、大変な満足感を与えて下さる舞台です。

 四季

 春夏秋冬の四題からなる舞踊劇。明治・大正期の歌人、九條武子氏の遺作とされ昭和3年の初演だそうです。
 歌人の作と言われるとなるほどなと思わされます。
 <秋 砧>の片岡孝太郎丈が一番見せてくださいました。
 その次が<夏 魂まつり>。
 歌人ならではのイメージ、風情が光る作品なのだと思います。

 四題の舞踊で、それぞれに趣向が凝らされているのが意欲的な作品だとは思うのですが‥
 踊りとしては<春 紙雛><冬 木枯>には、まだかなりの工夫が必要なように、私には思われました。
 やはり、歌舞伎座では「舞踊公演」ではなく、「役者の”芸”を見せる舞踊」を拝見したく思ってしまいます。

 私としては、SNSにおいて<冬>の群舞で打ち出され満足をされている方が少なからずいらっしゃったことに驚かされました。
 <冬>に異をとなえる見方がすっかり影を潜めるてしまうくらいでした。 
 人間国宝お二人の『神田祭』を拝見した後、中堅所の踊り四題はなかなか厳しい方も少なからずいらっしゃることは想像に難くありません。
 そんな中、<冬>では大変気が変わって楽しめたのかもしれません。

 渡辺氏がおっしゃったように、私も女方にトンボを切らせたのには驚きました。それを否定するものでは決してありませんが。
 大変意欲的な一幕であるとは思います。
 とはいえ、やはりこれからの日本の舞踊界にも言えることのように思われますが、やはり日本の肉体芸の基礎には、「ため」とか「間」とか「にじり」のような概念が必要不可欠であると私は思ってしまいます。
 そこに日本の伝統芸能ならではの強みが存すると思うからです。

 新しい試みや、群舞を否定するものではありません。
 しかし、ここを避けていては、例えば中国の群舞に勝る物を創造することは出来ないだろうと思います。
 『韃靼』のような肉体芸の在り方でこそ太刀打ちが出来るように思います。
 だからと言って、激しい動きだけを要求しているわけではないのです。
 若手に勉強の機会を与えるという点でも、日本ならではの肉体芸の強みを身に付けさせるには‥、という発想が根本にないと、奇をてらっているだけに終わってしまうように私には思われてしまいます。

 芯の役者だけではなく、役者皆が活躍出来る、光を放てる舞台を目指す事、その取り組みはとても素晴らしいことだと思います。
 これからのさらなる創造への意欲にご期待申し上げたいと思います。
                     2024.4.13                     

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