大切な貴方へ

貴方がこの記事を見つけることはないと思うけれど、「壊れた私」の全て。

2020年1月、部内の圧力で心が荒み始めた。相談しても、有効な解決策はなかった。私が強い人間じゃなかったから。ずっと1人で苦しんでいた。

5月、大切な人を1人亡くした。最期に立ち会った。泣きながら、嘔吐きながら名を呼んだ。脈拍が下がり、冷たくなっていく手を信じたくないと必死に握りながら、もう聞こえていないであろう耳に、開くことはないであろう目を見て声をかけた。
もう何を言ったかも覚えていないが、脈が止まる前に微かに動いたように見えた瞼を、私は一生忘れない。

8月、また一人、大切な人を亡くした。一時退院時だった。
母が急に仕事から帰ってきて、泣きながら私に放った一言目は「ごめんね」。既に鬱状態だった私は何の事か分かった瞬間に泣き崩れた。
死所に向かう車に乗り込み、待ち時間中ずっと泣いていた。何度も何度も何度も「私のせいだ」と思い続けた。今でさえもそうだ。

10月、1年と4ヶ月程付き合っていた人と別れた。根本的な原因は彼の行動だが、今思うとあの時もっと寛大な心を持っていれば、今こうならずに済んだのかとも思う。

11月、大会に向けたラストスパート。
連日の徹夜、エナジードリンク等カフェインの大量摂取、摂食不良、持病が身体を蝕んだ。大切な人を連続して失ったショックと生活習慣の乱れ、重なったテスト期間、求められる仕事に心を病んだ。

12月7日、私の中のものに名前が付いた。ほんとうの私の誕生日。病名は心因反応、心身症。

12月11日、新しい交際相手が出来た。背負っていた多くの物を、1つでいいから降ろしてしまいたかったが故の告白。受け入れてくれてありがとう。こんな私でごめんなさい。

12月24日、起きて欲しくなかった事態。私と元交際相手との間柄を、信頼していた人に笑われた。呼吸が何度も止まった。無呼吸と不整脈で眠れなかった。死ぬことを考えた。

2021年1月、目を合わせてくれようとしない貴方に、隣に来てくれない貴方に、自分から口を開こうとしない貴方に、話をした。精神安定剤の投与とリストカットの処置をして、どう思う?と聞いた。返答はなかった。
その後も特に何かを伝えられた訳でもなく、何かを言われた訳でもない。ただ、少し話して、沈黙して、また少し…この繰り返し。話したいことは沢山あるのに、何一つ言えなかった。過呼吸を起こした時は手を添えてくれたけど、寄り添うことはなかった。
当然だ。誰が私を受け入れられるか。

2月、正式に病休が決まった。部内でそれを発表した時の同輩の「設計はできるの?」が、心に重苦しくのしかかった。もう今更だが、この設計が病休中にも関わらず私を酷く攻撃する。元交際相手にバレンタインチョコを渡して、病休期間がスタートした。病休中に新しく心因性疼痛と診断された。
病休期間、飛び降りをした。人生2度目。怪我すらなかった。

3月、設計期間中に著しく身体に異常をきたし、また新たに過敏性腸症候群の病名がついた。原因は明らか。部活動だ。
3度目の飛び降り。死にたい気持ちに溢れていた。「死にたいと言うな」「自分を傷つけるな」貴方の言葉は無責任だ。少し固くなった雪の上に身を投げたが、外傷は何一つなかった。あぁ、また死ねなかった。


小学校時代は家族関係に。中学校時代は学力、才能、夢、人間関係に。高専では対人の恐怖、死別の孤独感に。
次から次へと私を壊すものは増えていく。自殺願望は強くなり、自傷行為、自殺未遂まで発展する。

私は貴方が好き。貴方が私に好きと言ってくれたことはないけど、一時的に夢を見させてくれた。一番最初に支えてくれた。ありがとう。



もうきっと夢を見ることは出来ないから、ここに綴らせて欲しい。

私が居なくなったその日、私のことを忘れて下さい。長く付き合わせてしまってごめんね。


18になる前に私は。

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