また、会えたね。
うちの毎朝のあいさつは、
「おはよー!また会えたねうれしいね」
4匹の猫とお互いとで5回。
朝からとてもしあわせな気分になる。
私たちは突然にこの世に現れた気分で生き始めるけど、もしも、この地球体験が、2回目だったら?3回目だったら?
以前も同じように、この家族で暮らしていて、めちゃくちゃ忙しい日々を送っていて、
そして、ああ、もっと遊んであげればよかった、ああ、もっと愛してる、ありがとうって言えばよかった、あの時、ああすればよかった、そんな風にしてこの世を去ったとする。
命のチャンスは5回。同じ人生を、本人が納得するまでアップデートを繰り返せるとして、でも毎回それに気づけなくて、もう4度も同じことやって悔やんでいて、
もうダメだと諦めかけていたら、あと一回残っていたとする。それが、今回の人生だったとする。
そうしたら、この毎日はジャンプするほどうれしい。手を取り合って喜び合いたい。ヤッター!また会えたね!
それが、うちの方針で。いやそんな話をあらためてしたこともないのだけど、なんとなくお互いに気づいて、毎朝自然とこの言葉が出てきた。
「おはよう、また会えたねうれしいね!」
今回2度目、昨日も行ってきましたジブリ展。
鈴木敏夫さんの頭の中と人生の軌跡をなぞるような、そんな展示会ですよね。
だから、みんなジブリ美術館みたいなのを期待して来た子どもたちが途中で泣き始める。
「つまんなーい」
「文字ばっかりー」
アニメージュで育ったワタシにとっては、もうヨダレが止まらない空間があって、
ナウシカの生まれたあの頃の、あの時代の、あの人のことや、匂いや社会のゴタゴタ感や、必死で生きてた時のことを思い出して、うるうるして、
生まれて初めて、昔を懐かしんで、涙しました。懐かしくて涙することってこれまでになかったと思います。
それも昔はよかった〜昭和がよかった〜ではなくて、その頃の時代の先端にいた異端児たちの尖った必死さ、そこに在ろうとした我が身の健気さに、なんともいえない過去への初めての感覚をおぼえたのです。
あの頃の私は、とても生意気で、自分の意見と疑問をもって、自分から声をかけてたくさんの見知らぬ人と話し、教えてもらいました。
その時に、バカにもせず、あしらいもせず、ちゃんと真っ直ぐに丁寧に応えてくれたのが、東京でヘルメットかぶってタバコをくわえてた、この頃の先輩方でした。
だから、宮さんのことも、鈴木Pさんのことも、後にクラスの先生になってくださった糸井重里さんのことも、亡くなった坂本教授のことも、勝手に親しみをもっているのです。
とにかく、そんな思いになった内容でした。
途中にでかいトトロがいたり、カオナシが本を読んでいたり、湯婆婆のおみくじがあったりしますが、
それらは期待と違う〜と泣くこども用としてうまい具合に機能してくれていました。
そんな子どもたちにとっては、キャラクターが「また会えたね」と言ってくれているのだろうけれど、
私にとっては、鈴木さんが、この何度目かの人生で全力をつくしきった感で、同じ時を生きる我々に、また会えたねと言ってくれてる気がして、うれしくなったのです。
そうか、また会えたんだと知って。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?