017_昔大切にしていたものを手放す
わたしと吹奏楽
中学でも高校でも、ひたすら部活部活の人間だった。大学もはりきって吹奏楽サークルに入ったが、音楽性の違いであっという間に幽霊部員になった。中高と、県大会を勝ち抜けるような優秀な成績を残したわけではなかったけど、それまで置かれていた環境がどれだけ恵まれていたかを痛感した。そのまま卒業アルバムの写真撮影もすっぽかした。
サークルをやめた後、別団体に誘われて夏のコンクール曲を練習していたが、突然楽器が吹けなくなった。練習の全てが苦痛だった。すぐに出場を辞退した。
「楽しい」がすべて「怖い」に変わり、その感情を持つようになった自分があまりにも嫌いで嫌いで仕方がなかった。
社会人になってからは別の習い事を始めたため、楽団には所属しなかった。できなかった。モチベがどん底だったからだ。
しかし、手元に楽器はある。これからどう向き合うべきか分からず、やめてしまった罪悪感のみが募った。突発演奏会などに参加していたが、コロナ禍がトドメになって軒並み見なくなってしまった。この時期は、演奏を聞くことですらメンタルブレイクの要因になったから、徹底的に吹奏楽を避けていた。荒療治だ!と勇んで聞きに行った夏のコンクールはやっぱり悔しくて悔しくて客席で泣いた。
アイデンティティの一つを失い、久しぶりに会った知り合いたちには「楽器やめちゃったんだ」と言われた。あまりにも恐ろしかった。別にみんなは悪くないから傷ついてないふりだけしてた。
今思うと思考回路が意味不明すぎるんだけど、たぶん認知がおかしい時ってそういうもんだ。当時の自分は認知の歪みに気づけるほど大人じゃなかった。あんなに熱を注いだはずなのにもうなんとも思わなくなってしまったことを認めるのが怖くて、許せなくて、ずっと強がってただけなのかもしれない。
数年ぶりのコンクールへ
そんなこんなで、心の腫物をよしよししてばかりの日々に、突如父親がぼやいた。
「お前も妹も高校を卒業した後、めっきり生演奏を聴く機会がなくなってしまったなあ」
「……今年の県大会、行く?」そう反射で返していた。誰かと似て出不精な父親だが、珍しく「そうだな」と答えが返ってきた。
また感情に振り回されて泣くかもしれない。今度こそメンタルが参って全部終わりになるかもしれない、そう思いながらも、今の自分に必要なものが一つでも掴めるんじゃないか、と賭けみたいな期待をしていた。
そして、何もかも予想外のものを受け取って帰ってきた。
いろいろ発見があった。まず、ライバル校はもうライバル校じゃなくなっていた。いい意味で、何のモヤつきもなく、ただただわくわくしていた。自分たちが届かないレベルの別次元の演奏としてではなく、非常に洗練された、とてつもない芸術作品として享受できたのだ。緻密な練習を、気の遠くなるような精度で繰り返したんだとわかった。
「このホールはこういう癖がある」「アタックへぐりすぎ」「それじゃあ音が飛ばない」……。恩師に頂いた指導が、どれだけの意味を孕んでいたのか、お客様にどう聞こえていたのか、周りの団体と、どのくらいの差があったのか。30年弱酷使した脳みそが、いまやっとすべてを理解した。格段に耳が良くなっていた。こんなに長く離れていたのに。
圧倒的に気づくのが遅い。あのときちゃんと「求められていること」を本当の意味で理解していれば、とつい考えてしまうけど、この思考回路・試行方法を、中高生に理解しろというのはかなり厳しいはずだ。言われたことの意味を理解し、全て適切に昇華できる子はめったにいない。そこまでを求めるのはあまりにも酷だと思う。
タイムスリップをして昔の自分に忠告ができたとしても、きっと何の意味もなさない。ただ、あの時本気で、やれるだけやっていなかったら、この思考回路は今もわたしのものではなかったと思う。長い目で広く見ると、あれは最終結果の仮面をかぶった過程の一つだった。それでも金だの銀だの銅だのを渡されてしまうので、気にせざるを得なかっただけだ。昔のわたしたちも、今の子たちも、あまりにもかわいそうで、あまりにもいとおしいと思った。
これから
不思議なことに、帰宅後ダンス練習へのモチベが上がっていた。自分が今苦しんでいる「緻密な練習」にちゃんと意味があることを教えてもらった気がした。大事なことほどめんどくさいと誰かが言っていた。練習を楽しめるなんて狂人だ。それでも、あの頃必死で楽器にしがみついていたように、今は踊ることにしがみついている。もうしばらくはこれでいい。脳みそを使いすぎて疲れた。いまは、次の機会を逃さないように気を引き締めておくだけでいい。
県代表になった団体は皆、堂々としていた。目が違った。自分たちのやってきたことを疑わない、まっすぐな意思を感じた。見習うべきだと思った。
あとは中学・高校の後輩。絵に筆跡を見出すように、その努力のあとがしっかりうかがえるようなパフォーマンスだった。わたしは本当に耳が良くなった。不思議だ。
ほしかったもの、ちゃんと持って帰ってこれた。行ってよかったなと心から思えた。今後の向き合い方はまだ決まってない。自分が一番納得できるような縋り方をしたいと思う。
何がなんでもやりたいなら、今頃とっくに楽団に連絡して時間捻り出してでも練習してるだろうし、一生やりたくないなら二度と楽器が目に入らないよう売っぱらってるはずなので、これから先もしばらくこの悩みを抱えていくんだろうなと思った。ぶっちゃけ答えなんて出さんでもいいんだろうけど。
最近はふと、高校時代のとある後輩を思い出す。担当楽器が変わってしまい、最初のコンクールに出られなくなった彼女は、皆が合奏している時間、ずっと一人で一生懸命に練習していた。その背中を思い出すたびにぐっと気持ちがしまる。
明日からもまた練習だ。やってもやっても終わらない。けど、ここで折れるわけにはいかない。いっぱいパワーもらったので、少しでも踏ん張れるように努力したい。
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