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自分自身も自己憐憫だらけだったくせに、立場が変わったら、親を糾弾している。それはなぜか?



前回の記事の続きです。

なぜ、私は自分が夫にされて嫌だったことを、親に対してしているのか?

分析してみたら、5つありました。
掘り下げた結果に対して、自分自身からのフィードバックも加えてみます。

1. 「そうなりたくない」という恐れ

親の姿を見ることで、「自分も将来こうなるのではないか」という無意識の恐怖を感じている可能性がある。
被害者意識が強く、環境のせいにして生きる姿が、自分の理想とかけ離れているため、「そうなりたくない!」という拒絶感がイライラにつながっている。
→ 真相心理: 「私は被害者になりたくない!」

フィードバック:「反面教師」なんだね。相手を否定してそうはなるまい、と思うことは一見、前向きっぽいけど、自分が「そうなる」ことだって、あり得る。その時に相当なコンプレックスを抱えることになるのが一番心に毒。そうなりたくない、という気持ちもあっていいけど「そうなったっていいじゃない」って、他でもない自分自身に言ってあげられたらいいね。

2. 親に対する期待

親に対して「もっとしっかりしてほしい」「弱音ばかり吐かないでほしい」と願っている自分がいる。
どこかで「頼れる存在であってほしい」という無意識の期待があり、その姿が崩れることで怒りや失望を感じている可能性がある。
→ 真相心理: 「親には強くいてほしい、弱音ばかり吐く人に近くにいてほしくない」

フィードバック:「期待」っていうと理想が高いように思われそうだけど、誇らしく思える瞬間がなかったんだろうね。それどころか、いつも足を引っ張られている気持ちになっていたんだと思う。それも仕方ない。でも、そもそも別人格の人たち。やってくれて当たり前って思ってない?そんなことないよ。差し出してくれた、いいとこだけ見て、軽やかに「ありがと」って思えたら、万々歳。


3. 過去の傷ついた記憶が刺激される

親が過去の自分に対して表現していた「自己憐憫」や「被害者意識」がトラウマのように残っている可能性がある。
たとえば、私が通っていた高校が遠方だったので、母の意志で家族が引っ越しすることになったのですが、ありがたい一方「こんな安っぽい家に引っ越したくなかった。(←母が自分で選んだのに)なんで私がこんな家に住まなきゃならないんだ」というような言葉を日々受けたこと。親の自己憐憫が今も無意識に「攻撃されている感覚」を引き起こしていることが考えられる。

→ 真相心理: 「また同じパターンを見せられて、苦しみたくない」

フィードバック:これが実は一番大きいんじゃないかな。母は自分を
「正直者」っていうけど、紙一重の「デリカシーのなさ」をあなたに対して噴出させてたよね。相手がどんな気持ちになるのかなんて分からない。感情の糞尿を撒き散らしていたみたいだったよね。それをガマンしてガマンして。でもね、母はその世界の中で自分が誰かのためにガマンしているってことを認めてもらわないと、保てなかったんでしょうね。子どもにしてみたら、たまったもんじゃないけど。だから、今あなたはこう思えるんじゃない?「こどものために自己犠牲になっている意識を1mmを持ちたくないし、ましてや仮に感じたとしても子どもに伝えるなんてもってのほか。」って。苦しい学びだったけど、それをちゃんと子どもたちに還元できていると考えたら、悪いことばかりじゃない

4. 「自分は頑張っているのに」という比較意識

自分が今、生活の中で前向きに生きようとしている。それなのに、親が「自分はかわいそうだ」と言い続けていると、「なぜ私は頑張っているのに、あなたは何もしないの?」という不公平感を感じる側面がある。
親の自己憐憫を「努力を放棄した甘え」と感じ、ますます苛立ちが強くなる。
→ 真相心理: 「私は苦しくても前を向いているのに、なぜあなたは変わろうとしないの?」

フィードバック:わかってると思うけど、「あなたが頑張っていること」と、「誰かががんばらないこと」は比較してもまったく意味がない。もと夫があなたに対してやらかしていたことの正体はまさにこれ。
これは単なる可能性として書いているだけで、あなたがあなたの親たちに思っている感情とはズレているから、本質はここじゃない。つまり、「夫からされて嫌だったことを、自分が親に対してやっているのでは?」という不安を持つ意味はない、とここで分かるね。

5. 「支えなければならない」負担感

親が被害者意識を強く持つと、無意識に「自分がなんとかしなければならない」と思わされることがある。自分も多くの課題を抱えている中で、親の感情まで支える余裕はない。「頼られるのでは?」という無意識のプレッシャーが、イライラにつながっている可能性がある。

→ 真相心理: 「私はあなたの人生の責任を負いたくない」

フィードバック:これも可能性として書いているだけ。本質は違う。あなたは、本来困っている人に手をさしのべたい人。一番いら立つのは、差し出した手に対して、正面から受け取ることをせずに、穿った目で拒否されること。あなたが純粋に「お母さんがよろこぶといいな」「お父さんがよろこぶといいな」って思ってやってきた中で、高い確率で「ケッ」って跳ね飛ばされていたこと、あったよね?悲しかったし、悔しかったよね。「悲しい」って言ったら「なんだその言い方はぁ!?」って怒鳴ってきたよね。
床が冷たい、っていうからあたたかいスリッパ買ってプレゼントしたけど、埃かぶって放置されてたよね。車のナンバープレートが壊れてたから「私が修理に出してくるよ」と言ったら「これから、買い物いかなきゃいけないんだよ!」と不満かえってきたよね。
そのコミュニケーションエラーの根本は何かわかる?親のエゴと低い共感力、そして歪んだ思い込みだよ。あなたはそれを変えることはできない。それは彼女たちにとっては問題じゃないから。
あなたが悔しくて悲しかった、それでおしまい。それ以上は感じなくていいし深堀らなくていい。だって、本当に支えなくてはいけなかったら、あなたは進んでやるでしょう?ほかの誰よりそういう気持ちが強い人でしょう?ここは自分を責めるポイントではないよ、まったく。


これにて解決。

そうか、複数の理由があるけど、別に私がどうこうっていう話ではなさそうだな。

モヤモヤしたら、モヤモヤしていい。

感情に「正しい」も「間違っている」も、ないのです。


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