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HSPのパートナーシップ悲劇


「HSPは現実的に自分の状況を伝えるよう心がけると効果的」
という話の続きです。

HSPは俯瞰力がかなり高いケースが多く、あらゆる物事に対して観察的なスタンスです。
物事を客観的に見ることは、ほとんどの場合、冷静さを育てることにつながるのでたいてい人生にバランスを与えます。

一方で、人間は時に感情が振れることが多い生き物。
「熱い鉄板に触ったら『熱っ!』となる」
のと同じ。
感情リアクションは、自分の意思を超えた生理的な反射の結果といえます。
そしてHSPの一般的な特徴として、感情へのインパクトが強いということもまた挙げられます。

ここでHSPの特徴を重ねてみます。
■高い「俯瞰力」
■強い感情インパクト
という2つの要素が共存することになります。

ところで負の感情インパクトが発生してメンタルを病んだ時、俯瞰的であることは、どういう結果をもたらすでしょうか?

それは例えば
どこかのAさんにとっては熱いけどなんとか持てる鉄板があっとして
「これくらいなら持てるから頑張って持とう。」
という状況があったとして

一方でHSPの人が同じ鉄板を持ったら自分としては非常な熱さと痛みを感じたとして
Aさんが持っている前例があるから
「ここは、持っていくのが妥当だな」
と判断してしまう、といったようなこと。

そう。
残るのは、HSP本人にとって「熱かった、痛かった」という非建設的な記憶。

「えー!これ超熱いじゃん。私は無理。」

などと、個人的な感覚を優先してサラリと言えればまだ良いのですが、このあたりについても前述の「俯瞰力」が足を引っ張ります。

せめてもの対応として
「イエスともノーとも言わない」
という方法もありますが、このことで周囲との温度差が生まれることもまた「俯瞰」してるので
この方法を敢えて選べるHSPは自分を大事にする勇気がかなりある方だと思います。

結果、「ガマンしてやる」(ガマンしているように見せないようにしながら)というチョイスを選ぶ人も多いのではないでしょうか。
それが本人に幸福を与えないことは承知しながら。

―かくいう私ですが、完全に「ガマン」タイプでした。
そのことが、結果的に最も破壊的な痛みにつながった大きなイベントが「子育てに伴うパートナーシップ」つまり「結婚生活」でした。

とりわけ出産後から今に至るまでの私のパートナーシップは痛みと損傷が激しすぎて
振り返ろうとすると、心がつぶれたような心地と、頭の中に苦い液みたいなものが染み出てくるような恐怖を伴う感覚に襲われてしまいます。

本当、情けないことに、パートナーシップにまつわる記憶をさかのぼるだけで動悸・過呼吸・震えが待っているという超絶ナンセンスな有様。
つまり、詳しく書くにはまだ時間を要しそうなわけですが。
(ちなみに離婚はしていません。行きつくとこまで行きついて、折り返してしばらく経ちます。)

―で、私の結婚云々の詳細はさておき、何が言いたいかというと

NGパートナーシップに至った「背景」を分析してみます。

■自分が子育てや人間関係にまつわる「ガマン」を認識せず積み重ねてきたこと。
■自分とパートナーの間の感覚の違いがあることを双方理解していなかったこと。

パートナーは本来かなりシンプルな思考の持ち主。
すれちがいの第一歩として、私の「個人的な感覚」に触れると、静かに怒りに変換しました。
得体の知れなさを解釈するのに、怒りは使える感情ツールです。
怒りは無意識に言葉や態度の端々に散りばめられ、自分に戻ってきます。
それは両者にとって悲しく怒りに満ちた体験の繰り返しでした。

ここでひとつ大きな学びとしてお伝えしたいのが以下の3つ。

■痛みの程度は人によって違う。それが大きく違っても認めて良い。
■個人的な感覚は絶対的なもの。良いも悪いもない。
■絶対的なものを単なる事実として共有する。できるだけ淡々と。

自分の感覚を他人と比較しないこと。

そしてこれはHSPだけでなく、すべての人とそのパートナーシップに言えることだと思います。

いいんです。
ちがって。


だって
本当にちがうんだから。

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