山本潤著『13歳、「私」をなくした私』(朝日新聞出版)を読んで
著者の山本潤さんは、父からの性暴力サバイバーとして、テレビなどで発言する姿をお見かけすることがあった。私はテレビの前で、山本潤さんがどんな質問にも、即座に的確な答えを出す姿に励まされてきたひとりだ。
2017年に110年ぶりの性犯罪にかかる刑法改正に先頭に立ってくださったことにも感謝している。この刑法改正は問題をはらみながら、3年後の見直しを約束して改正された。今年がその3年後の見直しの年なのだ。2020年6月から法務省の検討会が開かれ、この本の著者の山本潤さんも委員として参加されているそうだ。
2017年に残った問題は、その後の各地の『性犯罪』裁判での、相次ぐ無罪判決で、多くの被害者を絶望させた。性暴力があったことを認めながら、「『暴行・脅迫要件』を満たしていない」とか、「『抗拒(こうきょ)不能要件』を満たしていない」からという理由で無罪というのだ。
要するに、「被害者が殴られていない」からとか、「『殺すぞ』とは言われていない」からとか、「逃げることも出来たのではないか?」とか、そんなことで無罪になっているわけだ。
どうしてこんなことになるのだろう?
例えば、不法侵入で考えてみよう。同意なく住居に入って来られたら、疑う余地もなく不法侵入だ。それを、「本気で抵抗しなかった」からとか、「殴られていない」からとか、そんなことを理由に無罪なんて、おかしすぎる。
例えば窃盗ではどうだろう?お金を取られた被害者が、「差し出したのはないか?」と言われたり「そんな恰好をしているから落ち度があった」と言われたり「酔って寝ていたから自業自得」などと、言われるだろうか?
著者は、そんなおかしすぎることを正すために、声をあげてくださっているおひとりだ。
どうして、性犯罪のみ、おかしな判断になるのか?考えてみると、性犯罪がなにかをわかっていないからだと思う。
『性』を『尊厳』という言葉に置き換えてみてほしい。性犯罪は尊厳を冒す犯罪なのだ。
今でも、『性』の話は苦手という方は、ぜひ、『性』という言葉が出て来たら、『尊厳』という言葉に変換してほしい。
実は、私も、『性』の話は苦手だ。私たちの傍にもひっそりと被害者は居て、『性』の話がトリガー(引き金)になってフラッシュバックを起こしたり、気持ちが落ち込んだりするかもしれないと思うと、躊躇する。
それから、『性』と聞くだけで、ニタニタとする脳内がエロコンテンツでいっぱいの人にも、『性』の話はしたくない。
誰の尊厳も冒さない社会にするためにも、尊厳を奪われた被害者が、どんな道を歩むのかを知ってほしい。
表に出てくることの少ない、被害者の人生を綴ってくださったのが、この本『13歳、「私」をなくした私』だ。
おそらく、当事者にしかわからないことのひとつに、被害後の長い長い回復の道のりがある。どうして、こうも時間がかかるのか?というくらい、長い時間がかかる。そして、たぶん、それには終わりがない。その長い道のりの途中で命を絶つ被害者もいる。そんな風にしてやっと立っている被害者の姿を見てほしい。
被害者が声を上げると、袋叩きに合う社会で、被害者の声は、か細く、聞こえてこない。加害者側の声は大きく、「同意があったのだ」とか、「誘われた」とか、「はめられた」とか、「むしろ自分が被害者だ」とか、さまざま言われる中で、何かの目的(金・売名など)で被害を訴える女性が後をたたないイメージが作られていないか?
あまりにアンフェアな社会だ。これじゃ、被害者の声は届かない。
だからこそ、この本は貴重なのだ。
この本には、各章毎に「性暴力被害者・サバイバーのためのガイド」が付いていて、適切なアドバイスが書いてあるのも参考になる。
そして、飾ることなく、感情的になることもなく、冷静に、淡々と語られる人生に寄り添ってほしい。おそらく、声高になることを戒めているのは、往々にして、「おおげさ」だとか、「たいしたことない」とか、「ヒステリック」だとか言われがちなことを、自然に考慮しているのだと思う。
私が安心して、少しずつでも、『性(尊厳)被害』について語っていこうと思うのも、山本潤さんはじめ、被害を語る方たちの励ましがあるからだ。
相次ぐ『性(尊厳)犯罪』の無罪判決に立ち上がったフラワーデモの動画を見ても、話しを聞いても、女性たちが、優しくて、柔らかくて、誰も傷つけたくないという気持ちにあふれていて、心動かされる。私もそんな一人になりたいと思う。
そして、加害者を産まない社会にするために、学んでいきたいと思う。
※刑法改正のクラウドファンディングも始まっている↓
覗くと刑法改正についての詳しい説明があるので、ぜひ読んでほしい↓
https://camp-fire.jp/projects/view/266189