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「大切なものが違う」という別れ方


人のご縁なるものは、
シュチュエーションという入り口は様々あれど
出口はみっつしかないと感じている。

これは、人生の目的とも言える3つだし、
人間のタイプも3つなのかも知れない。

この3つの「大切なもの」への

価値観が揃わなかったり
みている方向が違ったり
タイミングがズレて交わらなかったり

そんな小さな違和感が集まると

ご縁という磁石は、
砂鉄さえも集められないくらい
よわよわなただの鉄にになってしまう。

いわゆる「ご縁がない」という状態だ。

私の苦手な前向きすぎる人たちは
よく人を捨てていく。

新しいご縁のために
ステージアップのために
人を整理するという考え方だ。

これは、人付き合いの容量や
類友などの構造上は正しい。

現に、
やすやすとあがっていった人も見かけたし
その方は古い自分を捨て、
必死に努力をされたのだと思う。

けれど、この方法は
私の「大切なもの」を壊すことになるので
選ばないことにしている。

だからと言って、
そのような自分と違う価値観をみかけたとしても
たとえ自分がその切り捨て対象となったとしても批判するのも嘆くのも違うと思っている。

なぜなら、「大切なもの」が違うだけだから。

3つの「大切なもの」がわかってから
私は随分と生きやすくなったように思う

人への誤解や勝手な思い込みが激減したからだ

久々にノートを書き続けてみようと思う。

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