ひきこもりだった過去をずっと書きたかった
1979年生まれ。大学卒業の頃は就職氷河期の真っ只中でした。
僕は就職活動が始まった大学3年生の頃に早々と就職できないことを悟り、4年生の1年間は今後のお金を貯める為にアルバイトに明け暮れました。
すでに3年間で卒業に必要な単位はほぼ取っていたし、ゼミは必須ではなく卒論も必要ないという学部でした。今思うと何の為に大学に行ったのかよくわかりませんが、当時はまだ「みんながそうしているから」という理由に抗うほど、強く自分というものを持っていませんでした。
ただ、僕が就職できなかった理由は、なにも就職氷河期だったからだけではありませんでした。
僕はそもそも、面接に行けませんでした。
説明会を予約して筆記試験は受かるものの、面接の朝になるとどうしてもその場に行けませんでした。キャンセルの連絡をして布団の中で一人、死にたいと思っていました。
怖かったんだと思います。面接で落とされ、自分が社会に必要ないと突き付けられることが。その頃は他人に評価されるということを、とても怖がっていたように思います。まあ今でも大っ嫌いだけど。
就職をあきらめた僕は、唯一の特技だったピアノで生きていこうとか、やっぱりそんなの無理だと考えなおしたり、だったらピアノや音楽を軸に起業できるかもと、音楽初心者の為の場づくりをしてみたりと、色々やってみた結果、
ひきこもりになりました。
丁度その頃ニートという言葉が出てきて、ああ自分の事かと思っていました。今となってはあまり覚えていないけど、毎日死にたいと思っていたような記憶があリます。
1年だったか2年だったか忘れましたが、ひきこもって貯金もなくなりかけた頃、何とか一念発起して生計を持ち直しはしました(めちゃくちゃ端折ってますが、簡単なことではなかったです)。しかし安定はせず、この後どうしようかと、うなだれていた時に起こったのが東日本大震災でした。
津波が町を襲う様を、原発の爆発を、被災した人たちを観ていました。
何もできない自分を恥じていました。自分も何か、わかりやすく社会に貢献したかったのだと思います。僕はやっと就職することを決心できました。
ちゃんと仕事に就こうと思ったとき、ずっと頭の中にあったのが介護業界でした。それしか思いつかなかったとも言えます。30過ぎた職歴のない男が就職するには、介護しかないと思っていました。
半年間の職業訓練を受けて、ヘルパー2級と介護福祉士の間の、たぶん今はもうない資格を取って就職しました。人生初の正社員でした。ようやく社会の一員になれたようで、うれしかったのだと思います。初めてボーナスをもらった時には浮かれて、そして本当に今までありがとうという気持ちで、親に報告してしまったりしました。
そうして始まった介護の仕事でしたが、仕事自体は嫌いではありませんでした。純粋に、体の不自由な人や認知症の人をサポートするのはやりがいがあったし、何もなければ穏やかな日々でした。
少し仕事にも慣れてきたある日僕は、死が突然やってくることを知りました。
その日の日中も普通に過ごしていた利用者さんが、夜勤中に急変して亡くなりました。あの夜僕は、一緒に救急車に乗っていったんだっけ?少し曖昧な記憶。不審死ということで警察が来たのは覚えています。すべてが終わり緊張がほどけたあと、遅い朝食を取りながら、あふれる涙が止められませんでした。
苦手だったのは、定期的にイベントを企画したり、お年寄りに子どもみたいな遊びをしてもらったりすること。介護施設が保育園や幼稚園のように見えて嫌でした。
未経験のヘルパーとして就職しましたが、責任者をできる資格を取っていたことやパソコンが使えることから、徐々に事務系の仕事が増えていきました。そうするとだんだん、年配のヘルパーさんから嫌味を言われたり、事務職と現場の板挟みに合ったり、どこの仕事でもあるような、そんな悩みもでてきました。
できたばっかりの事業所で、人材不足から1年目の終わりには責任者になり、2年目には管理職になりました。そんな行き当たりばったりの事業所が上手くいくはずもなく、3年目には事業撤退、施設は別会社へ売却となりました。従業員はそのまま別会社へということでしたが、僕は辞退することにしました。
また無職になってしまいましたが、その時の僕には、もうやってみたいことがあったので、無職になれるのが嬉しくもありました。
そのやってみたかったこととは、今の暮らしにもつながっている”農”です。
オンラインストアの自己紹介にも少し書いてあるように、園芸療法に関心をもったことから、介護施設で野菜作りをしたりしていたのです。
最近、思いついたら何でも書くようにしています。
それはこの本、いしかわゆき(ゆぴ)さんの「書く習慣」を読んだから。
声にできない何かを伝えるためには、下手糞でも何でも書いて公開していくしかない。
誰かの勇気になるかもしれないし、ならないかもしれないけど、
過去の僕と同じように、うまく社会に出れなかった人や社会に馴染めなかった人を応援したい気持ちが、ずっとあります。