それってあなたの範疇ですよね? 認知の枠組みを理解しようぜ!
みなさんこんにちは!しらいです!
ミルプです!
今回も前回に引き続き、こちらの本を参考にしながらおしゃべりしていきましょう!
ブー!!
なんでブーイング?
前回はイントロダクションだったので、なんとか理解できましたけど、ここから内容に入っていくとなると心配です。
一つ一つ丁寧に説明していくので安心してください。
前回の記事はこちら↓↓
お手並み拝見といきますか。
その顔で言われるのすげー腹立つな…
前回は、四つの教育原理について簡単に教えてもらいました。
「経済原理」「法技術原理」「政治原理」「社会原理」ですね。
今回は、「経済原理」について教えてもらえるんですか?
今回は「経済原理」についてですが、その前に、「範疇(はんちゅう)」のお話をさせてください。
天誅?
誰に?
しらいさんです。
やめてください。「範疇」です。
天中殺?
誰が?
しらいさんです。
本当にやめてください。
いい加減「てんちゅう」から離れてください。
いい加減って、まだ2回しか言ってないです。
こんなことやってると終わらないので、「範疇」の話をしていいですか?
いいですけど、「範疇」って、「枠組み」とか「カテゴリー」みたいな意味ですよね?
それが「文化」「教育原理」とどうつながってくるんですか?
順を追って説明していきますね。
範疇とは、時間・空間・数・因果律・分類法など、思考を構成するために必要不可欠な認識論上の概念を指します。
ふむふむ。
その表情いいですね…
「認識論上の概念」とか難しそうなこと言ってますけど、「人が物事を理解するために勝手に決めたもの」ってことですね。
その通りです。これらの範疇は、自然を区分し意味づけるための人為的な方法であり、人間が世界を理解するための基本的な枠組みとなります。
まあそうですよね。カテゴリー分けしないとややこしくて混乱しちゃいますし。
もし時間や空間といった範疇について、社会という共同体の中で合意がなければ、コミュニケーション、相互理解、協同といった一切の社会的な行為は不可能になります。
これまた当たり前ですね。
たとえば「日曜日の12時にハチ公前で待ち合わせね」って言ったときに、「日曜日」「12時」「ハチ公前」という「範疇」を、お互いに理解していなかったら待ち合わせなんてできないですもんね。
そうなんです。さらに、世界観、宇宙観、宗教観といった思想や抽象的な観念体系も、この範疇についての十分な合意があって初めて可能になります。
なるほどね。
「範疇の社会性」についても触れておきましょう。
え?これ「経済原理」までたどり着きます?
たどり着かないです。
やっぱり。
今回は「範疇回」にしましょう。
つまらなそうな響き。
なんですか「範疇回」って。中華ですか?
「回鍋肉(ホイコーロー)」じゃなくて?じゃないんですよ!
押さえておくべきポイントなので、丁寧に説明させてください。お願いします。
オッケー!
いいんだ…
それで、「範疇の社会性」って何ですか?
難しいこと言ったら「スキ」だけ押して帰りますよ?
記事に「スキ」は押してくれるんだ…
はよ!
範疇は、人間に本来備わっているものでも、個人ごとに偶発的なものでもなく、共同体の生活の中で日々の実践を通して、その正しさが確認され維持されるものです。
帰るけど?
待って!別に難しいことを言ってるわけじゃないんです!
説明はよ!
ここで言いたいのは、「範疇は、人間に生まれつき備わっているものではない」ってことと、「範疇は、個人の思いつきで生まれるものでもない」ってことです。
ほうほう。
たとえば、生まれたときから「時間」という概念を知っているわけではありませんよね?生きていく中で、時計を見たり、季節の移り変わりを経験して、時間を理解するようになるんじゃないですか?
たしかに。
これが「範疇は、人間に生まれつき備わっているものではない」か。
そして、ある人が突然「新しい時間の数え方」を思いついたとしても、それが社会で共有されなければ、コミュニケーションは成り立ちません。範疇は、社会的な合意によって成立します。
これもたしかに。
これが「範疇は、個人の思いつきで生まれるものでもない」ね。
毎日、同じように時間を測り、同じように空間を認識することで、範疇は強化されます。このように、共同体で生活する中で、範疇は「正しさ」が確認され、維持されるんです。
そういうことね!なーんだ!簡単じゃん!
危なかった…
もう少しだけ「範疇の社会性」の説明をしても?
オッケー!なんでも来いだぜ!
範疇は、哲学的または形而上学的な要請からではなく、共同体の実用的な必要に迫られて生まれてきます。
帰らせてぇのか?
笑いながら怒ってる…
難しいこと言うなって…
説明をさせてください!
今際の際だぞ…
怖いな…
はよ!
まずは、「哲学的または形而上学的な要請からではない」についてです。
これは、範疇が、抽象的な思索や理論的な探求から生まれたのではないということです。たとえば、古代の哲学者が「時間とは何か」を深く考えた結果、時間の概念が生まれたわけではないということです。
言いたいことはそれだけか?
真顔で言わないで…
これダメだったらどうなっちゃうの?
ボクのサクランボが火を吹きます。
ちょっと見たいな…
説明を続けなさい。
すっかり立場逆転してる。
はよ!
次に「共同体の実用的な必要に迫られて生まれてくる」についてです。
これは、範疇が、人々が共に生活し、協力し、問題を解決するために必要不可欠なものとして、自然発生的に生まれたということです。たとえば、農耕を行う人々は、季節の移り変わりを正確に把握する必要があり、「時間」の概念を発達させました。
また、物を分けたり、数を数えたりする必要から、「数」の概念が生まれました。さらに、原因と結果の関係を理解することで、より効果的な行動を取る必要性から「因果律」の概念が生まれました。
つまり、範疇は「人間が生活していく上で、具体的な必要性から生まれた、実用的な思考の枠組み」ってことですね。
ミルプさん、さすがです!
プププ!
機嫌が直った。
ところで、さっきしらいさんが言ってた「原因と結果の関係を理解することで、より効果的な行動を取る必要性から「因果律」の概念が生まれました。」この部分、以前どこかで似た話を聞いた記憶があります。
それは「システム化メカニズム」の話かもしれません。
これは人間の脳に備わった強力な機能で、人間が複雑な世界を理解し、操作し、新しい技術やアイデアを生み出すことを可能にする、重要な基盤となっています。
そうか、このメカニズムが基盤になって「範疇」とかの抽象的な概念に発展していくんだな…
これで情緒の不安定ささえなければ…
なんか言いました?
なんでもないです。
「範疇の社会性」の最後にちょっとだけ付け加えていいですか?
いいですよ!
社会学者のエミール・デュルケムは、「社会を成り立たせる知識と思考の根源は、範疇の共有である」と主張しています。
やってくれたな…あ?
やばい、ブチギレてる…
デュルケムだか、メルエムだか知らねえけどよ…
アリの王だ…
最後に社会学者持ってくるなんてよぉぉ!!
しゃべり方がジョジョみたいに…
マジでお前の神経信じるわ!!
疑えよ。
信じてみます。
情緒どうなってんだ…
説明はよ!
「社会を成り立たせる知識と思考の根源は、範疇の共有である」
これだけ見ると難しそうですよね?
ムズイっす!
ですが、ここまで説明してきたことをまとめると、簡単に理解できると思います。
というと?
逆に質問しますが、「範疇」とは何でしたか?
ボクたちが自然を区分して、意味を与えるための「自然を区切る方法」。認識上の基本的な概念のことでしたよね。
そうですね。
「社会を成り立たせる知識と思考の根源は、範疇の共有である」
次に、この言葉に出てくる、「知識と思考の根源としての範疇」について考えます。
むず…
かしくないです!
僕たちが世界を認識し、知識を形成する上で、これらの範疇が非常に重要ということは、最初にお伝えしましたよね。
もし、これらの範疇について社会的な合意がなければ、コミュニケーション、相互理解、協力などの社会的な活動は不可能です。
あー、「ハチ公前で待ち合わせ」のやつか。
そうです。ほかには、「因果律」の概念が共有されていなければ、原因と結果を理解することができず、社会的な行動や科学的な探求も困難になりますよね。
学問に落とし込むとそうなります。
そして最後に、
「社会を成り立たせる知識と思考の根源は、範疇の共有である」
この言葉の、「範疇の共有」についてです。
聞きましょう。
デュルケムの言う「範疇の共有」とは、これらの基本的な概念が、社会の構成員の間で共通に理解され、受け入れられている状態を指します。
この共有があるからこそ、人々は互いに意思疎通を図り、共通の認識に基づいて協力し、社会を形成することができるのです。
めちゃくちゃ当たり前のこと言ってる!!
驚いたときもその顔なんですね。
社会が成立するためには、人々が同じような基本的な考え方や認識の枠組み(範疇)を共有していることが必要不可欠ってことですね。
そう言うことです。そこまで難しいことは言ってないんです。
なるほどね。
この共有された枠組みがあるからこそ、社会は円滑に機能して、人々は共同生活を営むことができるんだな…
言い換えれば、社会を成り立たせる知識や思考の根本は、社会の構成員が共有する基本的な概念や枠組み(範疇)に依存している、ということです。
だとすると、別々の文化では、共有された基本的な概念や枠組み(範疇)が違うので、衝突や摩擦が生じてしまうんじゃないですか?
その通りです!
ここで、「範疇と文化」について考えてみましょう。
範疇と文化…
範疇の捉え方は、文化によって異なります。例えば、「時間の捉え方」は、アングロサクソンとラテンの文化で異なり、生活のリズムや時間の区切り方、経験が異なります。
「アングロサクソン」とか出されると無理です。
日本で言うと、東京の人と沖縄の人で時間の捉え方が違ったりしますね。
ウチナータイム!
ほかには?
そうですね…ミルプさんは『葬送のフリーレン』をご存じですか?
もちろんです!大好き!
作中での大きな柱ともいえる「エルフの時間感覚」とかも参考になるかもしれません。
どういうことですか?
エルフの文化では、「時間の捉え方」が異なるということです。
あっ!めちゃくちゃわかります!
人間にとっては長い年月でも、エルフにとっては一瞬の出来事、という描写が何度も出てきますよね。
「人間の寿命は短いってわかっていたのに……なんでもっと知ろうと思わなかったんだろう……」という言葉が印象的ですね。
歴史教育にも目を向けてみましょう。
歴史教育における「時間の捉え方」も文化によって異なっていて、それが因果律の捉え方や推論の型に影響を与えます。
歴史教育ですか?
歴史教育では、過去の出来事をどのように捉えて、理解するかが教えられます。そしてこの時、「時間」の捉え方がとっても重要になります。
なぜだかわかりますか?
単純に考えると、歴史っていうのは、時間の流れの中で起こる出来事の連続だからです。
大正解!
歴史教育では具体的に、「時間の長さ」「時間の枠組み」「歴史を動かす主体」この3つの側面から「時間の捉え方」を考えることができます。
え?ここからあと3つあるんですか?
これが最後です!
ボクの体力はゼロです。
頭のサクランボもしおれてきて、水をかけないと力が出ません。
河童と同じなんだ…
もうちょっとだけ頑張ってください!
がんばりまーす!
疲れすぎて変なテンションになってる…
サクサクいきましょう!
まずは「時間の長さ」です。
何を「意味のある時間」と捉えるかは、文化によって異なります。
意味のある時間?
たとえば、アメリカの歴史教育では、建国からの約250年という比較的短い期間を、独立と民主主義の進展という枠組みで教えます。一方、フランスの歴史教育では、古代から現代までの長い歴史を扱い、その中で様々な変革や理念の展開を重視します。
国によって成り立ちも歴史も違うから、歴史の学び方にも変化が生まれるのか…おもしろいですね。
これは、それぞれの文化が、どの程度の時間スケールで物事を考えるか、どの程度の時間をかけて変化が起こると考えるかによって、歴史の捉え方が異なることを示しています。
長い時間軸で物事を捉える文化では、短期的な出来事よりも、長期的な変化や影響を重視する傾向があります。
次は「時間の枠組み」でしたね?
「時間の枠組み」というのは、歴史をどのような「区切り」で捉えるか、ということです。
歴史の区切り?
たとえば、日本の歴史教育では、縄文時代や戦国時代といった「時代」という単位で区切り、それぞれの時代に意味づけを行います。
これはわかりますよ。
これがフランスの歴史教育では、フランス革命や世界大戦といった出来事を区切りとして歴史を捉えます。
なんと!
これらの区切り方は、その文化が歴史をどのように理解し、伝えたいかという意図を反映しています。つまり、「歴史をどのように物語として語るか」という枠組みが、文化によって異なると言えます。
「歴史をどのように物語として語るか」
なんというかとても…
ホモサピエンス的ですね…
最後は「歴史を動かす主体」です。
うーん、これは、歴史を動かす「主体」を誰と捉えるのかが、文化によって異なるってことですか?
そうです。たとえば、アメリカの歴史教育では、独立と民主主義の進展に貢献した個人を主体として捉える傾向があります。
なんかアメリカっぽい!
一方、フランスの歴史教育では、社会全体の動きや理念の変遷を重視し、個人の役割を相対化して捉える傾向があります。
なるほど。
これは、それぞれの文化が「歴史とは誰によって作られるのか」という根本的な問いに対する答えが異なることを示しています。
個人を重視する文化では、個人の行動や決断が歴史を動かすと考え、社会全体の動きを重視する文化では、個人の役割を相対的に捉え、社会的な構造や理念が歴史を動かすと考えるってことですか。
そういうことです。なのでミルプさんが言った通り、別々の文化では、共有された基本的な概念や枠組み(範疇)が違うので、衝突や摩擦が容易に生じうるんです。
範疇の理解とっても大事ですね。
わかっていただけてよかったです。「範疇」の説明は以上です。
お疲れ様でした。
次回からはついに、それぞれの教育原理に入っていくんですね。
やっとですよ。
それはこっちのセリフです。
すみません…
でも、こんだけ引っ張られたので、教育原理を知りたくなってる自分がいます。
それはよかった!一つ一つ丁寧に説明していくので安心してください!
よろしくお願いします!
というわけで、今回はここまでです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
それではみなさん、すろすろすろーす!
ばいばいぷー!!
お知らせコーナー
毎度おなじみ、お知らせコーナーです。
よろしくお願いします。
ボクからのお知らせとしては、チバタズナさんにいろいろな表情を書いてもらったおかげでリアクションがとりやすくなりました!
リアクションしてもらえると、こちらとしても話し甲斐がありますよ。
チバさんといえば、「sloth」と「ベリーロングアニマルズ」を題材にした「僕達が0になるまでの100日」通称「僕ゼロ」という漫画を描いていましたね。
先日完結して、「僕ゼロロス」の声が方々で聞こえてきてます。
そんな方には、「僕ゼロ」のコマを使った「トートバック」と「パーカー」がオススメです。ぜひチェックしてみてください。
マニアック…
これらは「ファンスパイア」というショップで販売されているんですが、ほかにも、ロケスタくんのTシャツなんかも販売されています。こちらもあわせてチェケラお願いします。
チェケラ。
最後に、毎度おなじみのお知らせになるのですが、日本の方の海外挑戦を応援するために記事を書きました!
海外挑戦に対する不安を打ち砕く内容となっています。冒頭部分だけでもご一読いただけますと幸いです!
また、これをお読みのみなさんの友人や知人、親戚の方など、海外挑戦を考えている方にシェアしていただけると嬉しいです!よろしくお願いします!
お知らせは以上です!
ありがとうございました!
また次回でぷ!